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[[Image:Bundesarchiv_B_145_Bild-P057015%2C_Berlin%2C_Verleihung_des_Berliner_Kunstpreises.jpg|thumb|[[ウーヴェ・ヨーンゾン]](中央)]]
'''ウーヴェ・ヨーンゾン'''('''Uwe Johnson'''、[[1934年]][[7月20日]] - [[1984年]][[2月23日]])は[[ドイツ]]の[[作家]]。[[社会主義]]の中で人間らしく生きられず、かといって[[資本主義]]に自由や正義を見出すこともできず居場所を見つけられない現代人の苦悩を描いた。
 
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ヨーンゾンは1934年7月20日に[[ポンメルン地方]]の小都市カミーンで、畜産監督官の子として生まれた。
[[1944年]]には[[ナチズム]]教育を行う寄宿学校に入学するが、敗戦にともなって[[メクレンブルク地方]]のギュストローに移る。
[[1948年]]には、ヨーンゾン曰く家族を守るために[[国家社会主義ドイツ労働者党 | ナチ党員]]になっていた父が[[ソビエト連邦 | ソ連]]軍の収容所で死亡したと伝えられるが、ナチズムはヨーンゾンの成長にそれほど大きな影響は与えなかった。
むしろその後の[[ドイツ民主共和国 | 東ドイツ]]における社会主義が彼の性格形成に大きな影響をおよぼしていくことになる。
 
[[1952年]]、[[ロストック]]の大学で[[ドイツ語学]]と[[英語学]]を学び始め、1954年にライプツィヒ大学に編入。[[1956年]]には[[エルンスト・バルラッハ]]の『盗まれた月』を分析した論文を提出して卒業する。
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それを象徴するエピソードとして、ヨーンゾン作品の片方の体制に帰結できない難解さを「彼は壁の向こう側にいるのでもこちら側にいるのでもない。壁の上にいるのだ」と玉虫色の評言を発した評論家について、「壁の上に立つなどということは現代において文字通り不可能なことだ。なぜならその人は壁の上に横たわっているはずだからだ。射殺されたのだから。」と皮肉交じりの論評を述べていることが挙げられる。
 
== 参考文献 ==
* Leuchtenberger, Katja: ''Uwe Johnson''. Suhrkamp BasisBiographie 47. Suhrkamp, Berlin 2010, ISBN 978-3-518-18247-5.
 
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{{DEFAULTSORT:よんそん ううえ}}
 
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