「白ハト食品工業」の版間の差分

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== 概要 ==
[[1947年]]、[[大阪市]][[天王寺区]]にて[[アイスクリーム]]メーカーとして創業。[[夏]]は自社ブランドの[[アイスクリーム]]を[[大阪市]]内の[[映画館]]や[[駄菓子]]屋などに卸販売し、売り上げが非常に好調であったが、当時の一般家庭には冷凍庫などがなく、毎年冬に売上不振に陥っていた。冬の間は、その場を凌ぐため、[[餅]]や[[シュークリーム]]の製造販売を行ったり、[[煎餅]]の仕入れ販売、時には[[三洋電機]]の[[テレビ]][[真空管]]の[[はんだ付け]]の下請け作業までしていた。
 
[[1970年]]になって[[スイートポテト]]を販売するようになると、冬期の売上が安定。大阪では、[[江戸時代]]に「この世女の好むもの [[芝居]][[浄瑠璃]] いもたこなんきん」という[[川柳]]が詠まれたように、昔から女性の三大好物として「[[サツマイモ|いも]]・[[タコ|たこ]]・なんきん([[カボチャ]])」が謳われている。以降、[[スイートポテト]]をはじめ、「いも・たこ・なんきん」に特化した食品メーカーとして事業の軸足を移す。[[1975年]]に販売を開始した「[[大学芋|中華ポテト]]」は大阪周辺では[[大学芋]]という呼び方よりも親しまれるほどになった。[[1980年代]]より、「いも・たこ・なんきん」の[[ブランド]]化をはかり、「たこ家道頓堀 くくる」や「おいもさんのお店 らぽっぽ」などを有名[[百貨店]]や大手鉄道会社[[駅ナカ]]に出店をし始める。