「阿久利川事件」の版間の差分

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[['''阿久利川事件]]'''(あくとかわじけん、あくりかわじけん)とは、[[前九年の役]]中の[[1056年]]([[天喜]]4年)に[[源頼義]]の部下が阿久利川畔の野営において何者かに夜襲を受け、人馬が殺傷された事件である。[[前九年の役]]長期化の原因のひとつとなった。
 
== 経緯 ==
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== 所在地 ==
[[早稲田大学]]名誉教授であった[[吉田東伍]]の『[[大日本地名辞書]]』によると、[[胆沢城|胆沢鎮守府]]と宮城(原文ママ)国府の間にある川の名とし、後世に伝えずとある。が、吉田は仮定としながらも名前の相似点から、[[磐井川]]付近の岩手県[[一関市]]赤荻(阿古幾)とした。[[岩手大学]]教授[[高橋崇]]もその著作の中で阿久利川(あくりがわ)未詳宮城県北部か」としている。長年地域同定が出来なかったが、近年'''あくり'''でなく、利根川の利の様に'''あくと'''と呼ぶのではとの[[東北大学]]名誉教授[[高橋富雄]]の研究成果で、現在の宮城県[[栗原市]][[築館町|築館]]と[[志波姫町|志波姫]]の境の一迫川畔の「阿久戸」という地域が比定地として有力である。付近には、[[伊治呰麻呂]](これはりのあざまろ)の居城・[[伊治城]]があり、国の[[史跡]]として発掘調査が進んでいる。
 
== 関連文献 ==