「近江絹糸争議」の版間の差分

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同社は自社経営の[[近江高等学校]]生徒を工員のように使い、滋賀[[都道府県労働局|労働基準局]]から摘発されたのを始め、工員が彦根高等学校(現在の[[滋賀県立彦根西高等学校]]・[[滋賀県立彦根東高等学校]]・[[滋賀県立彦根工業高等学校]]に該当)に入学したところ近江高校への転校を強制したり、女子は結婚すると退社、男子も結婚すると転勤で、結婚すると退社か別居しかなく、本社200人中家族と同居している者は専務1人だけであった。また自宅通勤者もほとんどなく寮生活を強制していた。
 
==沿革経過==
本節中の記述はすべて1954年。
* 6月2日:近江絹糸紡績労働組合(5月25日結成)が会社側に対して組合の承認、宗教行事への強制参加の中止、信書の開封・私物検査の停止、結婚・外出の自由、賃金体系の確立など囚人のような22項目の要求を行った。これに対して会社側が拒否したことから[[6月4日]]より従業員1万3千人が工場に[[ピケ]]を張って[[ストライキ]]に突入した。