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高炉で得られた銑鉄に含まれる炭素など不純物を次の[[製鋼]]工程で取り除く。ここでは、[[ケイ素]]、[[リン]]、[[硫黄]]などを除去し、[[炭素]]の含有率が0.5 - 1.7%程度に調整される。この方法には[[転炉]]と[[平炉]]がある<ref name="osawa2-3.2" />。
 
転炉(転炉製鋼法)は1856年に[[イギリス]]の発明家[[ヘンリー・ベッセマー]]が開発した。彼の名を取って[[ベッセマー法]]と名づけられた本技術によって初めて鉄鋼の大量生産が可能となった。このベッセマー転炉においては、[[珪石]]製の[[煉瓦]]を内部に張った炉に銑鉄を入れ加熱空気を送ると不純物や余分な炭素が燃焼(酸化)して除去できる。この方法によって20トンの製鉄を30分以下で行うことが可能となった。発明当初の技術ではリンの除去は不可能であったが、1887年に[[シドニー・ギルクリスト・トーマス]]が[[白雲石]]粉末を裏張りした転炉を用いる方法を開発し、このトーマス転炉においてリンを[[リン酸カルシウム]]の[[溶滓]](ようさい)として分離させることが可能となった。この溶滓は[[肥料]]に転用された。現在では1946年に[[オーストリア]]で開発された空気の代わりに[[酸素]]を用いるLD転炉法が主流となっている<ref name="osawa2-3.2" />。また、[[1949年]]にはそれまで底から酸素を送り込んで不純物を除去していたものが、上から酸素を吹きつけるだけでも撹拌が起きて不純物が除去されることがわかり、上部から空気を送り込む工法が主流となった。しかし上部からの空気だけでは撹拌が弱くなるため、1970年代にはふたたび底吹きが主流となる。しかし今度は上部の温度が上がりにくくなるという欠点が現れ、結局1980年代以降は上部からの酸素供給を基本とし、底部から補助的に空気を送り込む混合式の吹込みが主流となった<ref>「カラー図解 鉄と鉄鋼がわかる本」p68-69 新日本製鉄株式会社編著 日本実業出版社 2004年11月10日初版発行</ref>
 
平炉は[[反射炉]]の一種で、1856年にシーメンス兄弟(カール・ウィルヘルム・シーメンスとフレデリック・シーメンス)によって炉の構造が発明され、マルタン父子(ピエール・ マルタンとエミール・マルタン)によって製鋼法が発明された<ref>http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/31412/1/sk016009002.pdf 「平炉法の発明の経過」p245-247(「生産研究」第16巻第9号、1964年)中沢護人</ref>ことから、両者の名を取ってシーメンス・マルタン法と呼ばれる。鉄鉱石と屑鉄([[スクラップ]])を混合し加熱して不純物を酸化・除去し、適度の炭素を残す。熱源は電気アークである<ref name="osawa2-3.2" />。しかし平炉法は冷えた材料の加熱を行うため、初期のものは鋼の製造まで10時間を要した。1960年代には3時間まで時間が短縮されたものの、転炉はこの過程を30分で行えるため勝負にならず、日本では1960年代以降この方式での製鋼は行われていない<ref>「カラー図解 鉄と鉄鋼がわかる本」p67-68 新日本製鉄株式会社編著 日本実業出版社 2004年11月10日初版発行</ref>
 
このほかにスクラップを用いる[[電気炉]]生産方式(電気炉製鋼法)がある。[[日本]]での生産割合は、転炉製鋼法が約75%、電気炉製鋼法が約25%である。