「松本幸四郎 (7代目)」の版間の差分

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非常に生真面目な上に辛抱強く、文字通り「体を張る」人物でもあった。<br/>
二代目松緑の著書『松緑芸話』(講談社、1989年/講談社文庫、1992年)には、『茨木』の渡辺綱を演じた際に、幕切れの見得で体を伸ばし過ぎて心筋梗塞を起こしたことが紹介されている。<br/> 
 
                                                                                            その性格のためか、若い頃はあまり俊才とは見られていなかったようで、[[田村成義]]著「界通信 無線電話」中で、著者は冥界から電話で呼び出された師匠・九代目[[市川團十郎]]に「あれがもう少し物を早く呑み込んでくれると、ちょっと見られるようになりましょう」「少しはセリフ覚えがよくなりましたか?」などと心配させている。
 
さらに、[[1949年]](昭和24年)2月の大阪歌舞伎座『[[助六]]』で[[市川壽海 (3代目)|三代目市川壽海]]が[[助六]]を勤めた際には、幸四郎は以前から[[助六#出端の唄|出端の唄]]の振りの稽古をつけに行くことを約束していた。しかしその時体調を崩して寝込んでいたので、名代として門弟振付師の藤間良輔が出向くことになり、師匠に伺いをたてに行ったが、「聞いて分かるものじゃない、なまじっかなものを伝えては済まないから」と、わざわざ床から起き上がって下駄を履き、振りの要を幾度も見せた。その翌日に世を去った。