「オットー・ビュッチュリ」の版間の差分

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[[カールスルーエ工科大学]]で鉱物学、科学、古生物学を学び、1865年から古生物学者の[[カール・アルフレート・フォン・ツィッテル]]の助手を務めた後、1866年に[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]に移り、[[鉱物学]]、[[化学]]、動物学の研究で学位を得て、[[ロベルト・ブンゼン]]の助手を務めた。
 
1869年に[[ライプツィヒ大学]]に移ってルドルフ・ロイカート (Rudolf Leuckart) の助手となり、動物学に転じることにして[[線形動物]](線虫)の発生学的研究を始めた。1873年から、[[クリスティアン・アルブレヒト大学キール|キール大学]]で[[カール・アウグスト・メビウス]] (Karl August Möbius) の助手を務め、1876年に教授資格を得て、カールスルーエ工科大学の講師を務めた。1878年にハイデルベルク大学の動物学、古生物学の教授となり、引退するまでその職を続けた。
 
1876年に最初の主要業績となった『卵細胞の最初の成長過程、線虫の細胞分裂と結合の研究』''Studien über die ersten Entwicklungsvorgänge der Eizelle die Zelltheilung und die Conjugation der Infusorien'' を発表した。昆虫、巻貝、線虫類の成長過程と比較解剖学的研究に取り組み、動物の[[有糸分裂]]を発見し、原形質の微細構造の増殖過程の研究や、原生動物の分類に重要な貢献をした。1914年に[[リンネ・メダル]]を受賞した。[[ハイデルベルク]]で没。