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=== 日本の方言政策 ===
[[明治]]時代以降、一個の政府のもとに統一された日本では、中央集権国家を目指したため、[[学校教育]]や[[軍]]の中で標準共通語を押し進めた。1888年に設立された国語伝習所の趣旨には次のように論じられている。「国語は、国体を鞏固にするものなり、何となれば、国語は、邦語と共に存亡し、邦語と共に盛蓑するものなればなり」<ref>江仁傑 「日本の言語政策と言語使用」 樋口謙一郎編著 『北東アジアのことばと人々』 (ASシリーズ 第 9巻) 大学教育出版 2013年(ISBN978-4-86429-214-6 C3080)</ref>特に軍では、異なる地方の者同士では、方言の差異のために命令の取り違えすら発生しかねない有様であり、死活問題でもあった。このことから、方言および日本で話されていた他の言語を廃する政策がとられた。方言を話す者が劣等感を持たされたり、または差別されるようになり、それまで当たり前であった方言の使用がはばかられる事になった。ただし、方言追放を徹底できたとは言い難く、軍・政府の重鎮でありながら終生南部弁が抜けなかった[[米内光政]]のような例もある。
 
現在では、テレビ・ラジオにおける標準語<ref name="teigi"/>使用の影響などにより、ほぼ標準語が日本全国に浸透し、各地の方言は衰退や変容を余儀なくされた。各地の[[アクセント]]は多くの地域で保持されているが、語彙は世代を下るに従って失われやすいとされる。現在では、積極的に方言を守るための動きが起こっており、各地に方言の保存会が作られている。また、各種テレビ番組などでも地方の方言を持ち上げる演出が多くなっている。