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1741年、エピネー領をルイ・ド・ベルガルドが購入した。しかしモンモランシー家の継承者である[[コンデ公]]が封建領主権を主張して論争となった。コンデ公は教会再建に資金を出し、教会は1743年に完成した。18世紀、輝かしい人々がエピネーにある自らの家を頻繁に訪れた。[[ドニ・ディドロ]]、[[メルキオール・グリム]]、[[ジャン・ジャック・ルソー]]、[[ルイーズ・デピネー]]らである。
 
19世紀に入って、サン=ドニやアンギャン=レ=バンコミューンの一部を分割し、エピネーは縮小した。[[普仏戦争]]のあった1870年から1871年の冬にかけてドイツ軍がエピネーを占領した。徐々にエピネーは産業化が進んだ。映画で知られる[[エクレア (カメラ)|エクレール]]もエピネーにある。
 
[[2005年パリ郊外暴動事件]]の最初の日である2005年10月27日、道路標識製造会社に勤めるジャン=クロード・イヴロアが、19歳と23歳の若者によってオルジュモン地区で撲殺された。彼は妻子を連れて、会社のカタログに載せるため街灯柱を写真に撮っていただけだった。イヴロアを襲ってカメラを奪った若者は麻薬密売人だった。