「サツマイモ」の版間の差分

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|名称 = サツマイモ
|色 = lightgreen
|画像 = [[ファイル:Ipomoea batatas.jpg|250px|サツマイモの花]]
|画像キャプション = サツマイモの花
|界 = [[植物界]] [[:w:Plantae|Plantae]]
| 門 = [[被子植物門]] {{Sname||Angiosperms}}
| 綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}}
| 下綱階級なし = [[バラ類]] {{Sname||Asterids}}
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}}
[[ファイル:Ipomoea_batatasL_ja01.jpg|250px|thumb|掘りあげたサツマイモ]]
{{栄養価/ナトリウム量未確認 | name=サツマイモ(生)<ref name=mext>[http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802.htm 五訂増補日本食品標準成分表]</ref>| kJ= 552 | water= 66.1 g| protein= 1.2 g| fat= 0.2 g| carbs= 31.5 g| sodium_mg= 4 | potassium_mg= 470 | calcium_mg= 40 | magnesium_mg= 25 | phosphorus_mg= 46 | iron_mg= 0.7 | zinc_mg= 0.2 | copper_mg= 0.18 | Manganese_mg= 0.44 | betacarotene_ug= 23 | vitA_ug = 2 | vitD_ug= (0) | vitK_ug= (0) | thiamin_mg= 0.11 | riboflavin_mg= 0.03 | niacin_mg= 0.8 | vitB6_mg= 0.28 | vitB12_ug= (0) | folate_ug= 49 | pantothenic_mg= 0.96 | vitC_mg= 29 | satfat= 0.03 g| monofat = 0 g| polyfat = 0.06 g| fiber= 2.3 g |vitE_mg=1.6| right=1
}}
{| class="wikitable" style="float:right; clear:right"
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* [[1604年]]、当時の[[琉球王国]](現在の[[沖縄県]])[[沖縄本島]]に伝わる。[[明]]への進貢船の事務職長(総管)であった[[野國総管]](与那覇 松)という人物が明(今日の[[中国]][[福建省]]付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして[[北谷町|北谷]][[間切]]野国村(現在の[[沖縄県]][[中頭郡]][[嘉手納町]])に持ち帰り、儀間村の地頭・[[儀間真常]]が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。種子島や本土に伝来したのはこちらの系統である。
* 1698年(元禄11年)3月、[[種子島]]に伝わる。領主[[種子島久基]]([[種子島氏]]第19代当主、栖林公)は救荒作物として甘藷に関心を寄せ、[[琉球]]の[[尚貞王]]より甘藷一籠の寄贈を受けて家臣西村時乗に栽培法の研修を命じた。これを大瀬休左衛門が下石寺において試作し、栽培に成功したという。[[西之表市]]下石寺神社下に「日本甘藷栽培初地之碑」が建つ<ref name="徳永 p.27">徳永 p.27</ref>。
* [[1705年]]([[1709年]]とするものもあり)、薩摩[[山川町_ (鹿児島県)|山川]]の[[前田利右衛門]]は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩で栽培されるようになった。前田利右衛門を祀る[[徳光神社]]には「さつまいも発祥の地」とする碑が建てられている。
* [[1711年]]、薩摩を訪れた[[下見吉十郎]]が薩摩藩領内からの持ち出し禁止とされていたサツマイモを持ち出し、故郷の[[伊予国]][[瀬戸内海]]の[[大三島]]での栽培を開始した。
: [[1732年]]、[[享保の大飢饉]]により瀬戸内海を中心に西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る中、大三島の周辺では餓死者がまったく出ず、これによりサツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。
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=== 食中毒 ===
害虫の食害や[[フザリウム]](''Fusarium'')属の[[カビ]]からの防御物質([[ファイトアレキシン]])として苦味のあるフラノテルペン類のイポメアマロン(''iopmeamarone''),)、イポメアニン(''ipomeanine'')やイポメアノール(ipomeanol)類を生合成する。この病変は、甘藷黒斑病と呼ばれイモは黒緑色から黒色に変色する<ref>[http://www.niah.affrc.go.jp/disease/poisoning/manual/ipomea.html 甘藷黒斑病] [[農業・食品産業技術総合研究機構]] 動物衛生研究所</ref>。イポメアマロンなどの生成物には哺乳類の[[肝臓]]及び[[肺]]への毒性があり、肺の重度出血、間質性肺気腫、肺水腫等の症状を引き起こし家畜での中毒死事例が報告されることがある。従って、人の食用及び家畜の飼料としては使用できない。また、この苦味物質は[[焼酎]]に加工した場合でも、焼酎に移行する。
 
== 原料・飼料としての利用 ==
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'''九里四里'''(くりより)'''うまい十三里'''(または十三里半)、'''十三里'''
:栗(九里)より(四里)うまいと、サツマイモ(特に川越いも)の美味しさを称えた言葉<ref name=huk/>。
:十三里は[[江戸時代]]、サツマイモの名産地で知られた[[川越市]]([[埼玉県]])が[[江戸]]から[[川越街道]]を通り、約十三里(52㎞)(52km)の距離であったことに因み<ref name=huk>[http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/column/54143.html 『福井新聞社『栗(九里)より(四里)うまい十三里―と… - 2014年09月15日午前06時43分』] 2015年01月24日閲覧</ref><ref name=sou/>、距離的概念の十三里と九里+四里を足して十三里(9+4=13)を引っかけ、[[洒落]]をきかせている<ref>関根 久夫『夫埼玉の日本一風土記』2010年 幹書房</ref>。
 
:現在では各地で販売するサツマイモ食品の宣伝文句や商品名に活用されている<ref> [http://www.asahi.com/articles/ASG784PTPG78PLZB00G.html 朝日新聞社『(おあがりやす)遊び心 サツマイモで包む - 2014年07月10日10時57分』] 2015年01月24日閲覧</ref>。[[愛媛県]]の[[佐田岬半島]]地域でも、佐田岬半島の長さが約十三里であることから「栗よりうまい十三里」と言う。同半島は火山灰の混じる土壌でサツマイモの産地でもある。
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'''[[ねりくり]]'''(ねったぼ、からいも餅)
:[[鹿児島県]]から[[宮崎県]]南部で食される、ゆでた[[餅]]と蒸した[['''サツマイモ]]'''を合わせて作る[[いももち|芋餅]]の一種。家庭料理としては、正月に余って硬くなった[[餅]]や水餅などを使って作られ、食べる時には[[きな粉]]をまぶして食する。
 
'''かんころ餅'''(甘古呂餅)
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* [http://www.tiu.ac.jp/~bduell/sp/usasp/ 『アメリカ、サツマイモ事情』] - [[東京国際大学]]ベーリ・ドゥエル教授
* [http://www.yomitan.jp/beni-imo/09_date/pdf/history.pdf 読谷村紅イモ探偵団 甘藷の歴史を探る(アジアから琉球)]
 
{{Authority control}}
 
{{DEFAULTSORT:さつまいも}}
[[Category:鹿児島県の食文化]]