「奈良岡朋子」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
55行目:
[[1948年]]、[[民衆芸術劇場]]付属俳優養成所に1期生で入所し、同年の『女子寮記』の寮生役が初舞台となる。[[1950年]]に[[劇団民藝]]創設に参加し、旗揚げ公演の『かもめ』に小間使役で出演した。[[1954年]]の『煉瓦女工』で初めて主役を演じ、『イルクーツク物語』のワーリャ役、『奇跡の人』のサリバン役などに出演、劇団の中堅女優として活躍した。民藝創設者の[[宇野重吉]]、[[滝沢修]]の死後は[[大滝秀治]]と共に代表を務める(法人の代表権は大滝が持ち、奈良岡は取締役)。また、[[2005年]]~[[2006年]]には『[[ドライビング・ミス・デイジー]]』で[[無名塾]]の[[仲代達矢]]と共演した。
 
舞台のほか、ナレーターとしても活躍(特に[[橋田壽賀子]]作品では頻繁に起用され、橋田の盟友である[[石井ふく子]]作品にも多く出演)
 
映画では『[[どですかでん]]』や『[[はなれ瞽女おりん]]』などで名演を残している。『[[ホタル (映画)|ホタル]]』や『[[釣りバカ日誌]]』などへ技で知られる。
 
[[1992年]]、[[紫綬褒章]]を受章。
[[2000年]]、[[勲四等]][[旭日小綬章]]を受章。
 
[[2000年]]、[[勲四等]][[旭日小綬章]]を受章。
テレビドラマでは[[石井ふく子]]プロデュース作品や[[橋田壽賀子]]作品に多く出演している。
 
洋画の吹替えも多くでは、[[ジャンヌ・モロー]]や[[キャサリン・ヘプバーン]]の声を担当した。
 
== 交友 ==