「リリー・エルベ」の版間の差分

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== リリーの生涯と<!--その元妻・-->ゲルダ ==
リリー・エルベは1882年に生まれ、[[1904年]]に当時学んでいた[[コペンハーゲン]]芸術学院(Kunstakademiet) (Kunstakademiet) で出会ったゲルダ・ゴットライプ ([[:en:Gerda Wegener]]) と[[結婚]]する。ゲルダもイラストレーターであった。リリー・エルベが女性の服装をするようになったのは、ゲルダの当時不在であった[[モデル (職業)|モデル]]の代わりにエルベに[[ストッキング]][[ヒール (靴)|ヒール]]を身につけさせ代わりに脚のモデルになるよう頼んだことがきっかけであった。二人は[[1912年]]以降[[パリ]]に在住するようになったが、そのころからエルベは女性として生活するようになった。エルベは元来女性的な顔つきと体をしていたため、男性として公に出ても、ズボンをはいて[[男装]]した女性のように見えたという。[[染色体異常]]([[SRY]])や[[インターセックス]]の可能性も指摘されたが、真相は明らかではない。[[1920年代]]から[[1930年]]にかけては恒久的に女性の身なりで生活するようになった。この頃より「リリー・エルベ」(Lili Elbe あるいは Lily という記述の文献もある)と名乗るようになった。
 
そして、ついに女性の身体を求めて「[[母]]となる為」、1930年から1931年にかけて5回にわたる手術を受けることとなる。
 
まず1930年に[[ベルリン]]を訪れ[[マグヌス・ヒルシュフェルト]]の観察の下に[[睾丸]]摘出手術を受けた。次いで[[ドレスデン]]市立[[産婦人科]]診療所にてクルト・ヴァルネクロス ([[:de:Kurt Warnekros]]) により[[陰茎]]の除去と[[卵巣]]の移植手術が行われた。提供された卵巣は26歳の女性のものであった。この卵巣は拒絶反応により3回目と4回目の手術により再摘出されたが、1931年5回目の手術により[[子宮移植|子宮が移植]]され、50歳を前に念願の「母」の体となることができた。前年の1930年には、リリー・エルベの手術を知ったデンマーク国王[[クリスチャン10世 (デンマーク王)|クリスチャン10世]]が即座にエルベとゲルダの婚姻を無効としていた(なお、当時のデンマークは刑法により[[同性愛]]を犯罪と規定していた)。しかしそれでもゲルダはエルベの[[性別]]移行を支援し、エルベは法的性別の変更と新しい「リリー・エルベ」を記された[[パスポート]]を手にすることができた。しかしそのわずか3カ月後[[拒絶反応]]で死去した。エルベの亡骸はドレスデンに埋葬された。
 
ゲルダは離婚後、イタリアの将校で外交官の男性と再婚し[[モロッコ]]へ航った。そこでゲルダはエルベの死を知る。[[マラケシュ]]と[[カサブランカ]]で数年過ごすも、ゲルダは再び離婚し、デンマークに戻り[[1940年]]にその生涯を終えた。