「平ノ石辰治郎」の版間の差分

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'''平ノ石辰治郎'''(ひらのいしたつじろう、[[1880年]][[12月20日]] - [[1925年]][[11月9日]]<ref>http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19110204.htm</ref>)は、[[玉垣部屋]]、[[尾車部屋]]、[[峰崎部屋]]に所属した元[[力士]]。12代[[玉垣 (年寄名跡)|玉垣]]。本名は緑川辰次郎。現在の[[福島県]][[いわき市]]出身。167cm、94kg。最高位は西[[前頭]]4枚目。
==経歴==
1900年1月初土俵、1908年5月十両昇進した。1911年2月新入幕、1917年1月引退した。小兵であったが、右四つからの[[下手投げ]]を得意とし、[[とったり]]の奇襲も見せる手取り力士であった。大関[[駒ヶ嶽國力]]には2勝している。現役中、師匠の死によって転籍していたが、[[二枚鑑札]]となり、いずれ玉垣部屋を再興するつもりでいたが若くして亡くなり果たせなかった。裁判の傍聴が好きで、法に通じていた。また大の酒豪であったとされる。