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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1954年|ノーベル生理学・医学賞|小児麻痺の病原ウイルスの試験管内での組織培養の研究とその完成 }}
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'''トーマス・ハックル・ウェーラー'''(Thomas Huckle Weller、[[1915年]][[6月15日]] - [[2008年]][[8月23日]])は[[アメリカ合衆国]]の[[ウイルス学]]者で、[[急性灰白髄炎|ポリオウイルス]]の[[試験管]]内での[[培養]]法を考案し、[[ジョン・フランクリン・エンダース]]、[[フレデリック・チャップマン・ロビンス]]とともに1954年度の[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。
 
ウェーラーは[[ミシガン州]][[アナーバー]]で生まれ育ち、父のカール・バーノン・ウェーラーが[[病理学]]の教授として働いていた[[ミシガン大学]]に入学した。ミシガン大学では[[獣医学]]を専攻し、学士号と修士号を取得した。修士時代には[[魚類]]の[[寄生虫]]の研究を行った。1936年からは[[ハーバード・メディカルスクール]]に通い、後にノーベル賞を共同受賞することになるエンダースの下で研究を行った。ウェーラーに[[ウイルス]]や[[組織培養]]の実験を行わせたのはエンダースである。ウェーラーは1940年に医学博士号を取得し、[[ボストン]]の小児病院で働いた。[[第二次世界大戦]]中の1942年に、彼は[[少佐]]の階級を得て、[[プエルトリコ]]にある軍の医学研究所で[[微生物学]]、ウイルス学、病理学の責任者として働いた。戦後はボストンの小児病院に戻り、1947年からは再びエンダースとともに働いた。1954年に[[ハーバード大学]]公衆衛生学部の教授に就任した。