「ラルース・LH93」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Satokimu (会話 | 投稿記録)
42行目:
 
==レース戦績==
[[1993年南アフリカグランプリ|シーズン開幕戦]]はコマス、アリオー共にリタイアとなったが、チームにとっては手応えのある展開であった。第2戦[[1993年ブラジルグランプリ|ブラジル]]では両者共に完走し、アリオーは7位とあと僅かでポイントを得ることができた。第3戦[[1993年ヨーロッパグランプリ|ドニントン]]は雨のレースとなり、アリオーはクラッシュしたがコマスは4週遅れ、[[ローラ・カーズ|ローラ]]の[[ミケーレ・アルボレート]]を抑えて9位となった。ラルースの努力は第4戦[[1993年サンマリノグランプリ|イモラ]]で実る。コマスはリタイアしたが、アリオーが5位入賞、値千金の2ポイントを獲得した。第5戦[[1993年スペイングランプリ|スペイン]]でアリオーとコマスはテールツーノーズのバトルを繰り広げるが、26週目にアリオーのギアボックスが壊れリタイアとなった。コマスは[[マーク・ブランデル]]、[[クリスチャン・フィッティパルディ]]、[[鈴木亜久里]]とのバトルを制して9位でフィニッシュした。チームはこの後8戦連続で機械的トラブルが無くレースを終えることになる。この時点でチームは予算が尽き、[[1993年ドイツグランプリ|ホッケンハイム]]までパーツの更新が行えなかった。2台揃って完走するのは7ヶ月後の[[1993イタリアグランプリ|イタリアGP]]で、コマスはクラッシュが頻発する中生き残って6位入賞、チームにとってシーズン2度目のポイントを得た。残る4戦でリタイアは1度と、チームの状態は上向きにあるように見えた。ジェラール・ラルースはチーム運営資金を得るため[[1993年日本グランプリ (4輪)|日本]]と[[1993年オーストラリアグランプリ|オーストラリア]]でアリオーに代えて[[鈴木利男]]を起用しなければならなかった。
 
LH93は信頼性が高く、アリオーが第4戦で5位、コマスが第13戦で6位入賞し合計3ポイントを獲得した。コンストラクターズランキングも1987年の初参戦以来となる10位を記録した。
 
{{-}}
 
==F1における全成績==
([[:Template:F1 driver results legend 2|key]]) ('''太字'''は[[ポールポジション]])