「アグネス・ラム」の版間の差分

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1974年5月のハワイ大会で当初[[ミスUSA]]{{仮リンク|ミス・ハワイUSA|en|Miss Hawaii USA|label=ハワイ代表}}に選ばれたが、18歳未満によりタイトルを失う<ref>{{cite web|url=http://hi.findacase.com/research/wfrmDocViewer.aspx/xq/fac.19810402_0040173.HI.htm/qx|title=Ottensmeyer v. Baskin|work=FindACase|accessdate=July 2012}} (Appeals case April 2, 1981)</ref>。同年地元の高校を卒業後に、日本からのハワイロケ映像撮影関係者にスカウトされ、モデルとして活動を始めた。
 
[[1975年]]初来日グリコと 雑誌「non-no」のモデルに選ばれ日本デビュー、同年の[[11月ライオン_(企業)|ライオン]]製品油脂(当時)の「エメロンミンキー」というトリートメント剤(当時、[[リンス]]は定着していたが、トリートメントはまだ普及していなかった)のCM出演が評判となり、たちまち大人気となった。他にグリコ・コダックのCM出演あり。
 
つぶらな瞳の美少女、日焼けした小麦色の肌、豊かなバスト(当時[[巨乳]]という単語はなかった)、愛くるしいルックスの肖像写真は一世を風靡、当時の若者に「アグネス・ラムフィーバ」が起きた。