「マイク・ピアッツァ」の版間の差分

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両親は広大な土地を購入し、打撃練習場を作った<ref name="maj20001237" />。その打撃練習場の打撃マシンはプロが使う高性能なもので、マイクはこのマシンで練習をした<ref name="maj20001238" />。マイクは練習をしたくてたまらず、兄弟からは「ヤツはまるで打撃練習場に住んでいるかのようだ。朝昼晩、いつもあそこにいる」と半ば驚き、半ば呆れ果てていた<ref name="maj20001238" />。
 
一番好きなポジションは投手で一番嫌いなポジションは捕手だった<ref name="maj20001237" />。[[リトルリーグ]]時代は監督から足が遅いことを理由に捕手を薦められるも、捕手は嫌なため、[[カーブ (球種)|カーブ]]を習得し投手に転向した<ref name="maj20001238" />。h進学した[[フェニックスビル高校]]では捕手が不足しており、肩が強いことを理由に監督からは捕手をやってみないかと誘われるもた際は、投手としての限界を自覚しておりいたがやはり捕手は好きになれず、打撃に集中したいため一塁手をやりたいと、翌日監督に伝えた<ref name="maj20001238" />。
 
高校では打率6割を記録するも無名校のためどこからも[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]で指名されず、[[マイアミ大学 (フロリダ州)|マイアミ大学]]へ進学するも出場機会に恵まれず、試合に出場したいため、[[マイアミ・デード大学]]へ転校<ref name="maj20001238" /><ref name="maj20001239">山下一徳、39頁。</ref>。スカウトからの誘いがなかったが、[[トミー・ラソーダ]]はマイクがかつてバットボーイの空いた時間にドジャースの投手相手にした打撃が忘れることができなかった<ref name="maj20001239" />。そして[[1988年]]のドラフトでドジャースから62巡目(この年に1433人指名され1,389番目)に指名された。球団から電話がかかってきたのは指名から2か月後で、契約金は15,000ドル、捕手として入団<ref name="maj20001239" />。ラソーダは間もなくドジャース史上最も攻撃的捕手の一人になるだろうと評した<ref name="library">{{Cite web|url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Mike_Piazza_1968 |title=The Ballplayers - Mike Piazza's Biography |work=BaseballLibrary.com|language=英語|accessdate=2008年6月30日 }}</ref>。