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'''成田 長泰'''(なりた ながやす、[[1493年]]([[明応]]2年) - [[1571年]]([[元亀]]2年))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[成田親泰]]の子で、[[成田氏長]]と[[成田長忠]]の父に当たる。下総守
 
[[武蔵国]][[忍城]]を領していた。[[成田氏]]は代々山内上杉氏の被官を務めていたため、はじめ[[関東管領]]・[[上杉憲政]]に仕えたが主家が衰えるのを見て後北条氏に寝返った。その後関東管領に就任した[[上杉謙信]]が関東仕えた進出するとその配下になる。しかし、謙信に恥をかかされたことから謙信を恨み、[[1560年]]に謙信が[[小田原城]]を包囲した後、[[北条氏康]]に降伏し、その家臣となった。一説には謙信に恥をかかされたことから謙信を恨んだためとも言われる
 
その直後、隠居しようとして家督を次男の長忠に譲ろうとしたため、長男の氏長と対立したが敗れて結局、氏長に家督を譲った。
 
[[Category:成田氏|なかやす]]
[[Category:戦国武将|なりたなかやす]]
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