「チュラーロンコーン大学」の版間の差分

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大学設立までの前史をたどると、ラーマ5世(在位1868-1910)が中央官庁を設立し、文書処理能力を備えた官人の養成のために1899年内務省付属「文官研修所」を創設、1902年にこの研修所が内務省から独立し「近習学校」と改称された。つづくラーマ6世(在位1910-1925)は、官吏養成の教育機関として「文官学校」を創設した。さらに、イギリス留学の経験から高度な技能者養成の必要性を感じており、総合的な高等教育機関設立構想計画を推進し、1917年に医学部、行政学部、工学部、文理学部として結実し、大学として発足させた。<ref>赤木功「チュラーロンコーン大学--転換期に立つ最古の大学」/綾部恒雄・林行夫『タイを知るための60章』明石書店 2003年 224ページ</ref>。
キャンパスはバンコク市街地の広大な土地を有し、すぐ隣には若者が集まることで有名な[[サイアム・スクエア]]がある。<!--卒業証書は伝統的に、タイ国王によって授与される。-->現在の国王である[[プーミポン・アドゥンラヤデート王]](ラーマ9世)は卒業証書の授与を、[[1973年]]から[[1977年]]までこの大学に通い[[チャクリー王朝|タイ王室]]として初めてタイ国内の大学を卒業した[[シリントーン|マハー・チャクリ・シリントーン内親王]]にゆだねている。
1987年の創立40周年を迎えた時は、学部数15、学生総数1万8460人、専任教官数2416人で、タイ最大の総合大学になった。しかし、1990年代から独立行政法人化政策の波が押し寄せてきて、将来的構想に向かった議論、たとえばローバリゼーションに向かった改革案の検討が行われている。<ref>赤木功「チュラーロンコーン大学--転換期に立つ最古の大学」/綾部恒雄・林行夫『タイを知るための60章』明石書店 2003年 223ページ</ref>。
 
[[1934年]]に設立された[[タンマサート大学]]と並び、日本でもよく知られるタイを代表する大学である。