「第三次ポエニ戦争」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
59行目:
残されたカルタゴの領土はローマに併合され、ローマの'''[[アフリカ属州]]'''を形成した。なお、フェニキア人によって建設されたカルタゴ市はローマ軍によって完全に破壊されてしまったため、現存するカルタゴの遺跡はその後[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が再建させた植民都市時代以降のものである。
この戦争でローマが地中海世界の完全な覇者たる傾向はますます強まっていったが、ローマの体制自体が、このような状況に適応しておらず、従来の共和制は行き詰まり、社会不安が急速に増大していくことになる。海外の属州で得た広大な土地や戦争捕虜からなる莫大な奴隷の労働力で大規模農場を経営する([[ラティフンディウム]])富裕層が出現する一方で、海外の安価な農作物がローマ本国の市場に大量に流れ込み、これに対抗できない中小農場経営者の多くが破産し
==現代への影響 ==
|