「ゴットフリート・ライプニッツ」の版間の差分

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=== 同時代の哲学者との関係 ===
ライプニッツは、同時代の著名な知識人とはほぼすべて交わったと考えてもよいくらい活動的であった。
* 特筆されるのは、[[1676年]]に[[バールーフ・デ・スピノザ]]を訪問したことである。そこでライプニッツは『[[エチカ (スピノザ)|エチカ]]』の草稿を提示された。だが、政治的問題もあり、またそれ以上に実体観念や世界観(特に「必然性」や「偶然性」といった様相をめぐる議論)の違いからスピノザ哲学を評価しなかったと言われる。
* デカルトやスピノザの他に、[[ニコラ・ド・マルブランシュ|マルブランシュ]]の影響を強く受けている。
* ライプニッツが生涯に書簡を交し合った相手は1,000人を優に超えると言われている。王侯貴族から全くの平民にまで及んだ書簡相手の内でも特に重要と目されている人物としては、『形而上学叙説』をめぐって書簡を交わした[[アントワーヌ・アルノー]]<ref>[[アントワーヌ・アルノー]]に対しては、20代の頃(1671年)にもラテン語で書簡を送っている(『形而上学序説』をめぐる書簡はフランス語でやり取りされている)。またこの両者の関係は、ライプニッツの改宗問題(ライプニッツは[[ルーテル教会|ルター派]]であった)もあって、なかなか一筋縄ではいかぬところがあった。</ref>、デカルト主義者の自然学者にして[[ピエール・ベール]]の友人としても知られる[[ブルヒャー・デ・フォルダー]]、晩年の10年間にわたり130通に及ぶ書簡をやり取りしたイエズス会神父の[[バルトロマイウス・デ・ボス]]、最晩年の2年間、[[アイザック・ニュートン]]の自然学及び哲学との全面対決の場ともなった[[サミュエル・クラーク]](ニュートンの弟子であり友人でもあった)などが知られている。