「ダイワメジャー」の版間の差分

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(資料をもとに加筆改稿)
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スタートが切られるとダイワメジャーは[[メイショウボーラー]]に続く2番手につける<ref name="yushun0406-3" />。前半1000メートル通過は過去10年で3番目に早い59秒7というタイムで進むなか、ダイワメジャーは最終コーナーでメイショウボーラーに代わり先頭に立つ。最後の直線ではそのまま逃げ粘り、追いすがるコスモバルクに1馬身4分の1差を付けての優勝<ref name="yushun0406-3" />。母スカーレットブーケ、姉ダイワルージュが果たせなかったクラシック制覇を遂げた<ref name="yushun0406-3" />。調教師の上原、馬主の大城にとっても、これが初めてのGI制覇であった<ref name="yushun0406-3" />。走破タイム1分58秒6はコースレコードに0秒1差という好内容であり、また1勝馬の皐月賞制覇は1950年の[[クモノハナ]]以来、実に54年ぶり6頭目の記録であった<ref name="yushun0406-3" />。
 
上原は「今日は落ち着いていたし、この馬にとって良いペースだったので、安心して見ていられた」「子供っぽい面はまだあるが、覚えてしまえば上手な競馬をしてくれる。ダービーが楽しみになった」と、クラシック二冠目・東京優駿(日本ダービー)への期待を口にした<ref name="yushun0406-4">『優駿』2004年6月号、pp.138-139</ref>。また、騎手のミルコ・デムーロは前年の[[ネオユニヴァース]]に続く皐月賞連覇であったが、競走後には「ネオユニヴァース]]と同じくらい力があると思う」と語り、同馬も達成したクラシック二冠について「頑張ってもらいたい」と述べた<ref name="yushun0406-4" />。馬主生活30数年というキャリアの末にGIタイトルを手にした大城は、「ゴールに入った瞬間は、ちょっと恥ずかしくて言えない」という態だったという一方で、2着コスモバルクの騎手がダイワメジャーを矯正した五十嵐冬樹だったことに、「五十嵐騎手は複雑な気持ちだったと思う」とも述べた<ref name="yushun0406-2" />。
 
5月30日、クラシック二冠が懸かる日本ダービーへ出走。ダイワメジャーには皐月賞から400メートル延びる2400メートルという距離についての不安が囁かれ、当日の人気では、皐月賞に出走せず[[NHKマイルカップ]](GI)を5馬身差・レースレコードで制してきた[[キングカメハメハ]]、コスモバルク、[[青葉賞]](GII)の勝利馬[[ハイアーゲーム]]に次ぐ4番人気となった<ref name="yushun0407">『優駿』2004年7月号、pp.14-15</ref>。
スタートが切られると、1000メートル通過57秒6というハイペースを5番手で追走、最後の直線では3番手を追走していたコスモバルクともども伸びを欠き、レコードタイムで優勝したキングカメハメハの6着に終わった<ref name="yushun0407" />。
 
ダービーのあとは故郷・社台ファームで夏を過ごし、秋は三冠最終戦の菊花賞ではなく、古馬相手となる天皇賞(秋)を目標とすることが決まる<ref>『優駿』2004年9月号、p.38</ref>。9月26日、[[柴田善臣]]を鞍上に[[オールカマー]](GII)で復帰し、同じくここから始動したダービー3着のハイアーゲームに次ぐ2番人気の支持を受ける。しかしレースでは2番手追走から最後の直線で失速し、最下位9着と敗れる<ref name="hero">『優駿』2009年8月号、pp.155-161</ref>。10月31日に迎えた天皇賞では12番人気と評価を落とし、結果も勝った[[ゼンノロブロイ]]から4秒離された、2戦連続の最下位17着に終わった<ref name="hero" />。
 
9月26日、[[柴田善臣]]を鞍上に[[オールカマー]](GII)で復帰し、同じくここから始動したダービー3着のハイアーゲームに次ぐ2番人気の支持を受ける。しかしレースでは2番手追走から最後の直線で失速し、最下位9着と敗れる<ref name="hero">『優駿』2009年8月号、pp.155-161</ref>。10月31日に迎えた天皇賞では12番人気と評価を落とし、結果も勝った[[ゼンノロブロイ]]から4秒離された、2戦連続の最下位17着に終わった<ref name="hero" />。
 
ダイワメジャーには皐月賞の頃から、呼吸器の筋肉が麻痺し、気道が狭まり走行中の呼吸に支障を来す[[喘鳴症]]の兆候が出ており、この頃にはそれがすっかり悪化していたのであった<ref name="nodonari">『優駿』2006年12月号、pp.30-32</ref>。喉から独特の呼吸音がすることから、俗に「ノド鳴り」とも呼ばれるこの疾病は、かつて兄・スリリングサンデーも発症し、古くは[[タニノムーティエ]]、近い年代では[[ゴールドアリュール]]といった一流馬が引退に追い込まれていた<ref name="nodonari" />。獣医師の所見では、その病状は「5段階で4から5」「正常時の60パーセントから70パーセントしか空気が入っていかない」という重いものであり、上原は引退も視野に入れていた<ref name="nodonari" />。しかし大城、吉田とも協議の上で治療が試みられることになり、11月19日、社台ホースクリニックで手術が行われた<ref name="nodonari" />。手術自体はさして難しくない<ref name="nodonari" />ものの、競走能力が戻る例は1~2割とされ、その見通しは「治る可能性は低いが、やれるだけのことはやってみよう」という程度のものであった<ref name="yushun0612">『優駿』2006年12月号、pp.54-57</ref>。
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