「オラドゥール=シュル=グラヌ」の版間の差分

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== 戦後 ==
[[Image:Oradour-sur-Glane-Hardware-1406.jpg|right|thumb|280px|破壊された村]]
フランス南西部の都市・[[ボルドー]]での軍事裁判を前にした[[1953年]][[7月12日]]、生存していた兵士約200人のうち65人を対象にした審理が開始された。当時、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]に居住していた者はフランスに引き渡されなかったため出廷したのはわずか21人でその内訳はドイツ人7名、残りの14人は[[アルザス地域圏|アレマン人]]([[マルグレ=ヌー]])であった。アレマン人たちは1人を除いて、自分たちは意志に反してSSに徴集されたと主張した。だが、SSの記録によればそのような強制徴集の事実はなく、ナチスに対し共感をもっていた彼らが自発的に参加した可能性が高い。
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フランス当局の見解は2つに割れていたが[[1954年]][[2月11日]]、20人の被告に対し有罪が言い渡された。これに対しては大論争が巻き起こったため、[[2月19日]]にフランス議会において全てのアレマン人を恩赦とする決定がなされた。その後、時をおかずしてアレマン人は釈放された。