「エドゥアルド・シェワルナゼ」の版間の差分

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=== ソ連外相 ===
[[1985年]]3月ゴルバチョフ書記長が誕生すると、シェワルナゼは、7月に[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]][[中央委員会]][[政治局員]]に抜擢される。更に内外の耳目を集めたのが、長年にわたって外務大臣を務めソ連外交の牽引役であった[[アンドレイ・グロムイコ]]の後任としてソ連外相に就任したことである。当初、外交に関連した経歴を全く持たないことから、その手腕は未知数であったが、ゴルバチョフの[[新思考外交]]推進役として、[[アレクサンドル・ヤコブレフ]]とともに、ゴルバチョフの[[ペレストロイカ]]における片腕と目されるようになった。しかし、ゴルバチョフが保守派・改革派の権力闘争の過程で、急速に右転回していくとシェワルナゼも批判に晒されるようになる。ゴルバチョフは[[大統領制]]を導入し権力基盤の強化を目論むが、当初、副大統領候補として念頭に置いたのはシェワルナゼであった。しかし、[[1990年]]に「'''独裁が近づいている'''<ref>発言の英訳 "'''Dictatorship is coming'''" より。例えば、[http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/10950980/Eduard-Shevardnadze-obituary.html "Eduard Shevardnadze - obituary". Daily Telegraph. 7 July 2014.] {{en icon}}</br>ロシア語での本人発言は {{lang|ru|"в знак протеста против '''надвигающейся диктатуры'''"(「'''差し迫った独裁'''に対する抗議として」)である。例えば、[http://radiovesti.ru/episode/show/episode_id/37593 Андрей Светенко. "Спецпроект: Как уходил СССР - Как захлебнулась перестройка" — Вести FM от 15 января 2016 г.]}} {{ru icon}}</ref>と危機を訴え、電撃的に外相を辞任した。
 
=== ソ連崩壊 ===