「低強度紛争」の版間の差分

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低強度紛争とは大規模な武力の使用が行われる通常戦争と武力が使用されていない平和状態の中間に位置づけることができる紛争の強度が比較的低い武力紛争を指す。[[政治]]的、[[戦略]]的なレベルにおいて低強度紛争はしばしば[[ゲリラ]]戦または[[反乱]]、[[テロリズム]]の様相を呈する。局所的で小規模な武力の行使が頻発しながら、断続的かつ不確かなまま事態が進行しているために全体的な情勢を把握することが困難である。
 
特に低強度紛争の当事者が正規軍ではなく非正規の[[準軍事組織]]である場合や、[[特殊部隊]]が秘密作戦を遂行していると、政権転覆、[[クーデター]]、[[暴動]]の発生などの事態の急変を事前に察知することは極めて難しくなる。しかし同時に低強度紛争はしばしば大国間の政治的対立である場合がある。これは外部からの[[軍事援助]]を通じて周辺諸国や[[超大国]]がその紛争当事者を間接的に利用することによって生じる。この場合、低強度紛争であってもより大規模な紛争へと[[エスカレーション]]する危険性がある。[[戦術]]的、[[作戦]]的なレベルにおいて低強度紛争を分析すると、戦力の分散と戦線の流動性によって特徴付けられる。個人や少人数で運用できる[[小銃]]や[[機関銃]]、[[爆発物]]などを用いて[[奇襲]]、破壊活動、[[略奪]]その他の犯罪行為が長期間にわたって繰り返される。戦闘空間には戦闘員ではない市民も含まれており、常にその一部がいずれかの紛争当事者に関与している可能性がある。これらの流動性・不確実性は、[[3ブロックの戦争]]という表現で象徴される。
 
低強度紛争の概念は[[ベトナム戦争]]後の[[アメリカ合衆国]]の[[安全保障政策]]の動向と関連しながら発展してきた。1971年に[[イギリス]]の軍人であったフランク・エドワード・キトソンは著作『低強度作戦』の中で低強度紛争という概念を初めて展開した。この概念はベトナム戦争によってアメリカの軍事戦略を見直し、また70年代から[[ソビエト連邦]]が[[第三世界]]で親ソ政権を擁立する情勢に対抗するために低強度紛争は重要な戦略的課題を理解するために参照されるようになる。そして1980年代にはアメリカは[[ヨーロッパ]]での[[ソビエト連邦軍]]との武力衝突には十分な努力を払っているが、第三世界での紛争に対処できないと研究者のサーケジアンによって指摘されるようになる。彼はアメリカが伝統的な戦争観のために[[アフリカ]]や[[中東]]、[[中央アメリカ]]での不正規な戦争への準備が不足していると主張した。