「開聞岳」の版間の差分

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4,000年前頃活動を開始し、有史以降の[[噴火]]記録は[[6世紀]]ごろからあり、[[貞観 (日本)|貞観]]16年3月4日(ユリウス暦[[874年]]3月25日)と[[仁和]]元年([[885年]])7月・8月に大噴火を起こした。このとき、山頂に[[溶岩円頂丘]]が噴出し、現在の二段式の山容となった。山体は主に粘性の少ない[[玄武岩]]だが山頂付近の溶岩ドームは[[安山岩]]でできている。
 
7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層である。噴火の年代が分かっているので、発掘対象の遺跡の遺物がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっている。7世紀末の噴火では被害を受けつつも、古墳時代の様式を残した生活が続いていたが、9世紀末の噴火では大きな被害を受けて集落が放棄されるなど大きな生活の変化が起きていることが判明している。[[橋牟礼川遺跡]]は9世紀末の噴火によって放棄された代表的な集落である<ref>原口 泉・永山 修一・日隈 正守・松尾 千歳・皆村 武一 『鹿児島県の歴史』 pp.68 - 69 [[山川出版社]] 1999年 ISBN 4-634-32460-1</ref>
 
[[2000年]]([[平成]]12年)[[12月12日]]から下旬にかけて、噴気が観測された。
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== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2016年4月}}
* 原口 泉・永山 修一・日隈 正守・松尾 千歳・皆村 武一 『鹿児島県の歴史』 pp.68 - 69 [[山川出版社]] 1999年 ISBN 4-634-32460-1
 
== 関連項目 ==