「アブドゥル・マリク」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m →現在: Category |
m 全角マイナスの「-」→長音符号の「ー」 |
||
17行目:
1992年のナジーブッラー政権崩壊後、ラスールと共に、[[ラシッド・ドスタム|アブドゥルラシード・ドーストム]]将軍が率いるイスラム運動民族に加わり、その対外関係局長、中将となった。
兄ラス
=== マザーリシャリーフの戦い ===
{{main|{{仮リンク|マザーリシャリーフの戦い|en|Battles of Mazar-i-Sharif 1997-1998}}}}
1997年5月19日、弟のゴリと共に、ドーストムの退陣を要求し、ターリバーンに対して戦線を開放した。その結果、5月25日にターリバーンは、[[マザーリシャリーフ]]に入城した。5月27日、交渉が妥結しなかったため、アブドゥルは、[[ハザーラ人]]部隊と共にターリバーンに対して戦闘行動を再開した。5月27日
1997年5月29日、自らをイスラム運動民族の党首と宣言した。ドスタムが国外に逃亡したため、1997年5月
1997年8月
1997年9月、ターリバーンの新期攻勢により戦線が崩壊したため、マザーリシャリーフをハザーラ人部隊に委ね、シベルガン市地区に撤退した。
|