「徳川治済」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
25行目:
'''徳川 治済'''(とくがわ はるさだ / はるなり)は、[[江戸時代]]の[[御三卿]]の一つ[[一橋徳川家]]の第2代当主。8代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川吉宗]]の孫で、11代将軍・[[徳川家斉]]の実父に当たる。
 
== 生涯 ==
一橋徳川家初代当主・[[徳川宗尹|宗尹]]の四男として生まれたが、兄の[[松平重昌]]と[[松平重富]]が[[越前国|越前]][[福井藩]]を継いだため、[[宝暦]]8年([[1758年]])に嫡子(一橋家の継嗣・次代当主)となる。宝暦12年([[1762年]])に[[元服]]、従兄弟で10代将軍の[[徳川家治]]より[[偏諱]]を受け'''治済'''と名乗る。[[明和]]元年([[1764年]])、父・宗尹の死により一橋家を継承する。弟の[[黒田治之|治之]]は福岡藩主[[黒田継高]]の婿継嗣となった。