「楊家将演義」の版間の差分

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;[[潘美|潘仁美]]:宋の重臣であるにもかかわらず、息子を殺された恨みで楊家を根絶やしにしようと楊業たちを死に追いやるが、最後には正義の裁きを受けることになる。悪役。
;潘豹:潘仁美の息子。楊延嗣に殺される。
;呼延賛[[:zh:呼延贊|(中文)]]:宋の将軍。楊家と親しい。
;呼延丕顕:宋の将軍。呼延賛の息子。父親と違い楊家の繁栄を妬む。
;[[寇準]]:宋の重臣。後に宰相。潘仁美を裁く。
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楊業の死により、生き残った'''六郎・[[楊延昭|延昭]]'''が楊家軍の当主となる。この楊延昭を当主として遼と戦う部分が、『楊家将演義』の4分の3ほどを占めており、京劇などで取り上げられる場面にもこの部分のストーリーが多く、面白い話が多い。
 
当主となった六郎は楊業の最期を知り、[[呼延賛]]の勧めもあって朝廷に潘仁美の裏切りを訴えることにする。しかし、[[太宗 (宋)|太宗]]の寵姫に[[章懐皇后|潘仁美の娘]]がいたので、朝廷は処罰を見送った。そこで、六郎は楊家軍に協力的な八王・[[趙徳芳]]らと潘仁美を殺害する。その後、太宗に死期が近づくと八王と七王・[[真宗 (宋)|趙恒]]との間で後継者をめぐるいざこざがあったが、八王が辞退したことで七王が即位、真宗皇帝となる。
 
太宗の崩御を知った遼は、再び宋との間の戦闘を開始する。しぶっていた六郎も母親に叱咤され、妹の八娘、九妹を率いて出陣する。見事に遼を撃退した六郎は、佳山の([[明]]・[[清]]代の役職なので、宋代に存在するはずがないのだが)[[巡撫]]に任命される。任地に向かう途中、'''岳勝'''・'''孟良'''・'''焦賛'''らの山賊を配下に入れ、楊家軍はその戦力を増強する。