「ネブカドネザル2世」の版間の差分

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[[Image:Ishtar gate Pergamon Museum.JPG|thumb|right|200px|ペルガモン博物館に復元展示されているイシュタル門]]彼はその治世の間に、バビロン市で大規模な建築事業を行ったことで知られている。バビロンの[[マルドゥク]]神殿と[[ジッグラト]]は大幅な改修が行われ規模が拡張された他、街は三重の城壁で囲われるとともに[[ユーフラテス川]]に橋を通して市域が対岸にも拡張された。巨大な宮殿を建設し宮殿に通じる大通りを作り(行列道路)、有名な[[イシュタル門]]も建設された。これは彩色レンガを用いて青を基調にした装飾性豊かな門であり、現在[[ベルリン]]の[[ペルガモン博物館]]で復元展示されているほか、[[イラク]]でもレプリカが建設されているなど、古代バビロニアを象徴する建造物の一つとなっている。ネブカドネザル2世はこれらの建築に使われたレンガなどに自分の名前を刻印させており、バビロン市の整備に情熱を燃やした彼の名を現代に留めている。
 
またネブカドネザル2世に纏わる[[空中庭園]]伝説として、彼が[[バビロンの空中庭園]]を造営したというものがある。彼は[[メディア王国|メディア王]][[アステュアゲス]]の兄妹で王妃の{{仮リンク|アミュティス (メディア)|en|Amytis of Media|label=アミュティス}}が、故郷偲んで憂鬱な日々を送っていたのを慰めるために[[ザグロス山脈]]を模した(当然のことながら、バビロン地域([[ヒッラ]])をはじめとして[[イラク]]は見渡す限りの起伏のない平野である)空中庭園を建造したのだという。これは非常に有名な説話であり、[[バビロンの空中庭園]]は古代の七不思議に数えられている。しかし、この伝説が史実であるという確認は出来ていない。一説には空中庭園があったのはバビロンではなく、[[アッシリア]]の首都[[ニネヴェ (メソポタミア)|ニネヴェ]]であったとも言われている。[[バベルの塔]]のようにモデルとなった建造物があったのかどうかも現在の所ははっきりしていない。
 
== 後世の作品 ==