「河野通久 (鎌倉時代)」の版間の差分
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通久は戦功によって幕府から[[阿波国]][[富田荘 (阿波国)|富田荘]]の[[地頭職]]を与えられたが、通久の望みを入れて[[貞応]]2年([[1223年]])に伊予国[[久米郡]]石井郷(現在の[[愛媛県]][[松山市]])の地頭職との交換が認められた。
嫡男に[[河野通時|通時]]がいたが、通久の側室と密懐(密通)の疑いを持たれて[[義絶]]したため、その弟である[[河野通継|通継]]を後継者として[[文永]]4年([[1267年]])に惣領の地位を譲った(ただし、密懐の話は通時・通継間の訴訟において
== 参考文献 ==
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