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=== マザーリシャリーフの戦い ===
{{main|{{仮リンク|マザーリシャリーフの戦い|en|Battles of Mazar-i-Sharif 1997-1998}}}}
1997年5月19日、弟のゴリと共に、ドーストムの退陣を要求し、ターリバーンに対して戦線を開放した。その結果、5月25日にターリバーンは、[[マザーリシャリーフ]]に入城した。5月27日、交渉が妥結しなかったため、アブドゥルは、[[ハザーラ人]]部隊と共にターリバーンに対して戦闘行動を再開した。5月27日〜28日の間、約3千人のターリバーン部隊は撃滅され、外ウス師、航空相[[アフタル・ムハンマド・マンスール|マンスール師]]等が捕虜となった。大部分の捕虜は、マリクの命令により銃殺された。
 
1997年5月29日、自らをイスラム運動民族の党首と宣言した。ドスタムが国外に逃亡したため、1997年5月〜8月の間、マリクは、事実上、アフガニスタン北部のウズベク人の指導者となった。
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