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『新唐書』は李善の才能をひどく低く評価しており、李善は古今の書物には通じていたものの、文才がなく、「書簏」(本の入れ物。本を読むだけで身についていない人)というあだ名がついていたとする。また、李善がはじめ『文選』注をつくったとき、事柄の説明のみで文意を説明できていなかったので、子の李邕が文義がわかるように補い、李善の注と李邕の注が並び行われたという。この『新唐書』の記述は疑わしく、『[[四庫全書総目提要]]』は、『文選』注が書かれたときに李邕はまだ生まれていないことを指摘し、また『新唐書』は小説から取材することが多く、よく調べていないと批判している<ref>[[s:zh:四庫全書總目提要/卷186|『四庫全書総目提要』巻186・集部39・総集類1・文選注60巻]]</ref>。富永一登もこの話は李邕を持ち上げるためにわざと李善を低く評価したものとする<ref>富永(1996) p.95</ref>。
『文選』注以外の著作としては『漢書辯惑』30巻(『旧唐書』儒学伝および経籍志による。『新唐書』芸文志では『漢書辨惑』20巻)、『文選辨惑』10巻(『新唐書』芸文志)、『文選音義』10巻(『[[日本国見在書目録]]』)があったらしいが、いずれも伝わっていない<ref>富永(1996) p.94</ref>。
== 脚注 ==
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