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'''リュネヴィルの和約'''(リュネヴィルのわやく,
== 概要 ==
オーストリアは1798年に[[第二次対仏大同盟]]を結成し、[[北イタリア]]や[[ライン川|ライン]]方面に侵攻していたが、1800年に[[マレンゴの戦い]]と[[ホーヘンリンデンの戦い]]でフランスに敗れたことで講和を余儀なくされた。講和によって第二次対仏大同盟は崩壊し、[[イギリス帝国|イギリス]]のみがフランスとの戦争を続けることになった。
条約により、オーストリアは、[[バタヴィア共和国]]、[[ヘルヴェティア共和国]]、[[チザルピーナ共和国]]、[[リグリア共和国]]の承認を再確認し、フランスによる[[ラインラント|ライン川左岸地域]]の併合を承認した。基本的には[[カンポ・フォルミオ条約|カンポ・フォルミオの和約]]を再確認するもので、敗戦国であるオーストリアにとっては寛大な内容と言えた。また、[[トスカーナ大公国]]のフランスへの譲渡(直後に大公国は廃止、[[エトルリア王国]]になる)、チザルピーナ共和国の領土拡大、[[ナポリ王国|ナポリ]]における王制の復活など[[イタリア]]における諸問題に関しても同時に取り決められた。
[[Category:1801年|りゆねういるのわやく]]
[[Category:フランス革命|りゆねういるのわやく]]
[[Category:ナポレオン戦争|りゆねういるのわやく]]
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