「露仏同盟」の版間の差分

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しかし、ヴィルヘルム2世は[[世界政策]](新航路政策)を掲げ、[[艦隊法]]の制定以降イギリスとの建艦競争に突入した上、中東進出(いわゆる「[[3B政策]]」)を企図してロシアとの関係も悪化させた。その結果、露仏同盟は対独同盟としての性格を強め、のちの[[英仏協商]]、[[英露協商]]と結びついて対独包囲網の一角を担うことになった。
 
ロシアはこの同盟を前提としてフランスからの投資を受けることになった。1891年より建設に着手する[[シベリア鉄道]]も、この時のフランス資本によるところが大きい。もっとも、この時期における投資の多くは[[ロシア革命]]によって社会主義政権が成立すると回収不能になった。[[露清銀行]]を参照されたい
 
==関連項目==