「マルコポーロ事件」の版間の差分

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「マルコポーロ事件」自体を主題としていないリンクを削除。キャッツ古閑邦子氏は信頼できる情報源における専門家としては微妙(ホロコースト関連書籍の翻訳家だが実績不明)
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=== 文藝春秋による謝罪と『マルコポーロ』廃刊 ===
発売から13日ほどが経った1月30日、文藝春秋は編集権は執筆者ではなく編集部であり発行責任は出版社自身にあるとして西岡には相談せず、出版社として「記事は誤り」と発表し公的な謝罪をすると共に、『マルコポーロ』の廃刊と[[花田紀凱]]編集長の解任、記事に関係する幹部構成員更迭を行った。[[田中健五]]社長は廃刊を発表した1995年2月2日のホテル・ニューオータニでの記者会見で時に社長の職に留まると述べたが、後に社内外から批判を浴び、結局、2月中旬に田中健五は代表職を辞任した。廃刊により文芸春秋の社員有志がSWCでのセミナーやアウシュヴィッツ見学に参加した。『マルコポーロ』1995年2月号の回収は、実際には行われていない。
 
廃刊が発表された1月30日、[[外務省]]の斎藤事務次官は記者会見を開き、外務省の見解として「廃刊措置は適切だった」と述べている。