「北原光騎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
19行目:
 
== 来歴 ==
高校時代は[[空手道|空手]]に熱中、喧嘩三昧の日々を過ごす。卒業後、就職するもわずか9か月で退職する。その後、営業職やドライバーなどを経験した後、20歳の時に上京、[[佐山聡]]に師事する、[[スーパータイガージム]]のインストラクターも務めた。[[1987年]]6月、23歳で[[全日本プロレス]]に入団<ref>当初は[[ジャパンプロレス]]所属選手)。</ref>。[[1988年]][[4月8日]]、[[百田光雄]]戦でデビューを飾る。その後、海外修行に出発、アメリカでは[[佐々木健介]]とのサムライウォーリアーズで活躍。帰国後、[[SWS]]→[[天龍源一郎]]が旗揚げした[[WAR (プロレス)|WAR]]に入団、天龍の右腕的存在として活躍する。33歳で自ら総合格闘技道場[[キャプチャー・インターナショナル]]を旗揚げする(翌年、同団体を離脱)。40歳で[[NPO]]法人[[日本ブルー・ブレイザー]]を設立し、理事長に就任。[[2004年]]4月より[[川崎市]][[麻生区]]を拠点に、自らの門下生たちとともに防犯パトロールを行っている。
 
現在は、プロ選手のみならず、アマチュア選手も育成し、[[格闘技]]の自主興行[[地下室マッチ]]を企画し、定期戦を開催している。北原自身も選手として、元横綱の[[北尾光司|北尾光覇]]、元前頭の[[大刀光電右エ門|太刀光修]]、プロ格闘家の[[三州ツバ吉]]、プロレスラー[[矢野啓太]]らと対戦している。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==