「藤岡貴裕」の版間の差分

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[[桐生大学附属中学校・桐生第一高等学校|桐生第一高等学校]]進学後に[[投手]]に転向。入学当初は身体も小さく球速は120km/h程度だったが、走り込みと筋力トレーニングの成果が出始め、2年時の[[第88回全国高等学校野球選手権大会]]では[[外野手]]の控え選手で出場。初戦の[[佐賀県立佐賀商業高等学校|佐賀商業]]戦に外野手として途中出場し2打席ノーヒット。次戦の[[東洋大学附属姫路中学校・高等学校|東洋大姫路]]戦では出場の機会なしでチームは敗退。この時の東洋大姫路で登板したピッチャーが、のちに東洋大学で1学年先輩となる[[乾真大]]である。
 
翌年の[[第79回選抜高等学校野球大会]]は外野手兼控え投手(背番号9)として出場し、初戦で[[宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校・附属中学校|都城泉ヶ丘]]と対戦し敗退。9回で被安打6、奪三振数8、自責点2。3年時には球速140キロの直球を武器に県内屈指の左腕に成長、エースとして臨んだ夏の[[全国高等学校野球選手権群馬大会|群馬大会]]は決勝戦で[[群馬県立前橋商業高等学校|前橋商業高]]に敗れたものの、得意の直球で勝負を挑み、前橋商業の樺沢健主将(のち[[東京農業大学硬式野球部|東京農業大学]]→[[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]])に勝ち越しの本塁打を打たれたことに対して「悔いはない」と答えている<ref>[http://www2.asahi.com/koshien/89/gunma/news/TKY200707280084.html 直球勝負に「悔いはない」 桐生第一・藤岡貴裕投手] asahi.com:高校野球 2007年7月28日</ref>。
 
=== 東洋大学時代 ===