「スカーレットブーケ」の版間の差分

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4月7日に迎えた牝馬三冠初戦・桜花賞は、5戦5勝のイソノルーブル、3戦3勝のシスタートウショウ、前年の最優秀3歳牝馬で当年[[ペガサスステークス]]を制してきた<ref name="yushun9104" />ノーザンドライバー、当年の[[シンザン記念]]など重賞2勝<ref name="yushun9104" />のミルフォードスルー、そしてスカーレットブーケの「五強」による争いといわれた<ref name="yu9105">『優駿』pp.18-20</ref>。当日、スカーレットブーケはイソノルーブルとノーザンドライバーに次ぐ3番人気の支持を受けたが、本馬場入場後の大歓声で落ち着きを失ってしまう<ref name="yu9106">『優駿』1991年6月号、pp.140-142</ref>。スタートが切られると8番手前後を追走したが<ref name="yu9106" />、直線で伸びを欠き、シスタートウショウの4着に終わった<ref name="yu9105" />。
 
桜花賞のあとは[[フローラステークス|サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別]](GII)に出走し単枠指定を受けるされ<ref name="yu9107-2">『優駿』1991年7月号、p.98</ref>伊藤厩舎所属の若手騎手・[[千田輝彦]]が手綱をとり1番人気の支持を受ける<ref name="yu9107">『優駿』1991年7月号、pp.158</ref>。レースでは3、4番手追走から抜け出しを図ったが<ref name="yu9107" />、最終コーナーから先頭に立った<ref name="yu9107-2" />ヤマニンマリーンに半馬身後れての2着となった<ref name="yu9107" />。5月19日、鞍上が武に戻って牝馬三冠2戦目・[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]に出走。シスタートウショウ、忘れな草賞(オープン)を含む3連勝中のツインヴォイスに次ぐ3番人気となる<ref name="yu9107-3">『優駿』1991年7月号、pp.150-152</ref>。レースではイソノルーブルが先導するスローペースの流れを中団で追走、最終コーナーではツインヴォイスと共にイソノルーブルに並び掛けたが<ref>『優駿』1991年7月号、p.32</ref>、そこから交わすことができず、逃げ切ったイソノルーブルから5馬身弱の差で5着となった<ref name="yu9107-3" />。
 
夏を故郷・社台ファーム千歳で過ごし、秋は牝馬三冠最終戦・[[エリザベス女王杯]]を目標に、9月の[[サファイヤステークス]]から始動。6頭立ての少頭数で行われ、スカーレットブーケは単勝1.6倍の1番人気に推される<ref name="yu9111">『優駿』1991年11月号、pp.164-165</ref>。しかしレースでは逃げたテンザンハゴロモを捉えきれずハナ差の2着と敗れ、武は競走後「まさか負けるとは思ってもみなかった」と語った<ref name="yu9111" />。10月に出走した[[ローズステークス]](エリザベス女王杯トライアル)でも再び1番人気に支持されたが、[[リンデンリリー]]の3着に終わる<ref>『優駿』1991年7月号、pp.158-159</ref>。エリザベス女王杯では7番人気と評価を落とすも3着となったが、三冠競走を制することはできなかった。12月に出走した[[阪神牝馬ステークス|阪神牝馬特別]]も23戦連続での3着となる。
 
翌年1月の洛陽ステークスでは好スタートを切ったにもかかわらず、鞍上の千田が後方待機策を選択し、自身最低の着順である12着と大敗。次走の[[京都牝馬ステークス|京都牝馬特別]]に臨むに当たり、伊藤雄二は「あれは千田のミス。今回うまく乗れなかったら他の乗り役を探す」と公言していた<ref name="yushun9204">『優駿』1992年4月号、p.134</ref>。京都牝馬特別では逃げるミルフォードスルーをみながらの2番手を追走。残り50メートルで同馬をとらえ、前年のクイーンカップ以来、約1年ぶりの勝利を挙げた<ref name="yushun9204" />。千田はこれがデビュー4年目での重賞初勝利であった<ref name="yushun9204" />。さらに次走・[[中山牝馬ステークス]]([[柴田政人]]騎乗)では、57kgというトップハンデを背負いながらも、当時としては優秀な1800メートル1分47秒6というタイムで優勝<ref>『優駿』1992年5月号、p.136</ref>。重賞2連勝を遂げた。
 
その後、牡馬との対戦では善戦をするものの勝利を挙げることはできなかったが、年末の牝馬限定戦・[[ターコイズステークス]]では、58kgの斤量を背負いながらも快勝する<ref name="yu0803" />。しかし競走後、肉体、精神ともに疲労が見られたことから、これを最後に引退することになり、翌春から故郷の社台ファームで繁殖入りした<ref name="yu0803" />。
 
=== 繁殖牝馬時代 ===
[[トニービン]]との間に産んだ初仔・スカーレットメールはチューリップ賞で2着に入り牝馬三冠路線に乗ったが、脚部不安のため桜花賞には出走できなかった<ref name="yu0803" />。3年目以降、[[サンデーサイレンス]]と交配されはじめると産駒の質はさらに向上、第3仔・スリリングサンデーはクラシック級との評価を受けながら故障のため大成することはできなかったが、第5仔・ダイワルージュは[[新潟3歳ステークス]](GIII)を制したほか、[[阪神ジュベナイルフィリーズ|阪神3歳牝馬ステークス]]2着、桜花賞3着とGI競走でも善戦した<ref name="yu0803" />。第7仔・[[ダイワメジャー]]は皐月賞を制してスカーレットブーケが果たせなかったクラシック制覇を遂げ、以後2007年の引退までにGI競走を5勝、2年連続で[[JRA賞最優秀短距離馬]]受賞といった実績を残した<ref name="yu0803" />。さらにデビュー前から「ダイワメジャー以上」とも見られていた<ref name="yu0803" />[[ダイワスカーレット]](父[[アグネスタキオン]])は、牝馬として37年ぶりの記録となった[[有馬記念]]制覇を含むGI・JpnI競走4勝を挙げた<ref name="yu0902">『優駿』2009年2月号、p.97</ref>。この時点で、スカーレットブーケ産駒の中央GI・JpnI勝利数は9となり、[[ビワハヤヒデ]]、[[ナリタブライアン]]らの母である[[パシフィカス]]を抜いて歴代第1位の成績となった<ref name="yu0902" />。日本中央競馬会の広報誌『優駿』が2009年選出した「現代の名牝ベスト100」では、産駒の獲得賞金数およびGI・JpnI勝利数で1位、重賞勝利数で2位(1位パシフィカス)となり、総合1位に据えられた<ref name="yu0908">『優駿』2009年8月号、pp.124-125</ref>。ダイワメジャーは種牡馬としてもGI優勝馬を複数輩出しているほか、母系子孫からもダイワルージュの仔・ダイワファルコンが重賞勝利馬となっている。
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ファイル:Daiwa_Major_20051009.jpg|ダイワメジャー
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