「弦楽五重奏曲 (ブルックナー)」の版間の差分

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*公開初演 [[1885年]][[1月8日]] ウィーンにて、ヘルメスベルガーの弦楽四重奏団らによる。
 
== ブルックナーの室内楽曲 ==
[[交響曲]]作曲家として著名なブルックナーだが、生涯において2曲の室内楽曲が知られる。この'''弦楽五重奏曲ヘ長調'''、それからブルックナーの死後10年後に発見された、[[弦楽四重奏曲 (ブルックナー)|弦楽四重奏曲ハ短調]]がある。弦楽四重奏曲の方は習作として書かれた曲のためあまり演奏される機会は無いが、この弦楽五重奏曲はブルックナーの傑作の一つとして演奏機会は多い。
 
== 作曲・初演の経緯 ==
この曲が作曲された[[1879年]]は、ブルックナーが55歳であり、[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]、[[交響曲第6番 (ブルックナー)|交響曲第6番]]など円熟期の傑作を書いていた時期である。この弦楽五重奏曲が作曲されたのは、当時[[ウィーン]]で著名な[[ヴァイオリニスト]]兼[[指揮者]]であった、[[ヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世|ヨーゼフ・ヘルメスベルガー(1世)]]からの勧めによると言われる。ヘルメスベルガーは、[[弦楽四重奏団]]で第1ヴァイオリンを担当し、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の演奏で評価を得るなど、[[室内楽]]の分野においても著名な演奏家だった。ブルックナーが、室内楽曲において典型的な[[弦楽四重奏]]の編成ではなく、弦楽五重奏を採用したのは、内声部の充実と、声部の動きの広がりを追求したためと考えられる。
 
公開初演は、作曲後6年を経た[[1885年]][[1月8日]]にウィーンにて、作曲を勧めたヘルメスベルガーの弦楽四重奏団らによって行われ成功を収めた。ただしブルックナーは、この曲をヘルメスベルガーには捧げず、[[バイエルン王国|バイエルン]]のマクシミリアン・エマヌエル公(オーストリア皇后[[エリーザベト (オーストリア皇后)|エリーザベト]]の弟)に捧げている。
 
== 曲の特徴・構成 ==
演奏時間が長いこと、また、「ブルックナー休止」や長大なクレッシェンドなど、ブルックナーの交響曲に見られる特徴が顕著であり、ブルックナーの個性が強く表された曲である。交響曲やオルガン曲の作曲家らしく、この弦楽五重奏曲は時に室内楽の範疇をこえてよく鳴る響きを聴かせる。
 
:非常に複雑な構成を持ち、第2主題の提示後は[[対位法]]的な書法が見られる。最後は序奏主題が再現され[[ヘ長調]]のコーダで終わるところなどは、いかにもブルックナーらしい書法である。
 
== 演奏時間 ==
約44分。
 
== 違稿 ==
同じ編成で「間奏曲ニ短調」がある。第2楽章「Scherzo」の異稿であるが、テンポはModeratoでトリオだけが弦楽5重奏曲と同じである。
 
== 編成 ==
*第1・2[[ヴァイオリン]]
*第1・2[[ヴィオラ]]