「パット・シモンズ」の版間の差分

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翌1982年以降は、フルタイムでF1に関わるようになり、1982年に[[テオ・ファビ]]とワーウィック、翌1983年には[[ブルーノ・ジャコメリ]]、1984年にはその年デビューの新人[[アイルトン・セナ]]のレースエンジニアとして任にあたった。
 
=== ベネトン&ルノー時代(1986年 - 2009年) ===
==== ミハエル・シューマッハ加入以前 ====
1985年には、チームは、イタリアの衣料品メーカー[[ベネトン]]に買収されたことにより、[[ベネトン・フォーミュラ|ベネトン]]となったが、シモンズは引き続き残留した。
 
1991年に[[ジョン・バーナード]]をテクニカルディレクターに迎えることをチームが決めると、シモンズはチームを離脱し、バーンとともに[[エイドリアン・レイナード]]と契約し、エンジニアリングディレクターとして[[レイナード]]のF1参戦計画に携わった。このレイナードによる参戦計画は結果として失敗に終わり、また、時期を同じくして、バーナードが[[フラビオ・ブリアトーレ]]によって更迭されたこともあって、シモンズはバーンとともにベネトンに復帰した。
 
このレイナードによる参戦計画は結果として失敗に終わり、また、時期を同じくして、バーナードが[[フラビオ・ブリアトーレ]]によって更迭されたこともあって、シモンズはバーンとともにベネトンに復帰した。
 
==== ミハエル・シューマッハとの共闘 ====
ベネトンに復帰したシモンズは、研究開発部門に戻りチーフとして統括するとともに、[[ミハエル・シューマッハ]]のレースエンジニアも務め、1994年と1995年のシューマッハのドライバーズタイトル獲得に貢献した。翌1996年にシューマッハは[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]へと移籍していき、その後を追う形で、長年を共にしてきたロリー・バーンがベネトンを去っていったが、シモンズはその後もベネトンに残り、バーン同様にチームを去った[[ロス・ブラウン]]の跡を受けて、1996年11月にテクニカルディレクターに就任した。
 
==== ミハエル・シューマッハ離脱後 ====
2001年に、新たにチームに加入した[[マイク・ガスコイン]]にテクニカルディレクターの座を譲って以後、自らはエンジニアリングディレクターとなり、2002年以降はエグゼクティブエンジニアリングディレクターの称号を帯びるようになった。
 
私事としては、この間、2002年に[[オックスフォード・ブルックス大学]]から博士号を授与されている。
 
==== クラッシュゲート ====
1996年以降、ベネトンのチーム代表はたびたび変わり、2002年にはチームがベネトンから[[ルノーF1|ルノー]]に変わるなど、チーム体制の変化が続いたが、シモンズは一貫して同チームに留まり続けた。シモンズはトールマン代の1980年にチームに加入して以降、一時的にレイナードに所属してい例を除けば期間はあるものの一貫してチームに30年近く留まり続けていことになる。しかし、2009年の半ばに転機が訪れることになる
 
しかし[[2008年シンガポールグランプリ]]において、ルノーチームが[[フェルナンド・アロンソ]]の順位を上げるため、[[ネルソン・ピケJr.]]に故意に事故を起こさせたというスキャンダル([[ネルソン・ピケJr.#クラッシュゲート|クラッシュゲート]])が発覚。シモンズはマネージングディレクターの[[フラビオ・ブリアトーレ]]と共にピケJr.に指示を与えた罪が疑われ、2009年の公聴会の直前、ブリアトーレと共にルノーから離脱した。その後の裁定で、[[国際自動車連盟]] (FIA) の管轄するすべてのモータースポーツカテゴリーにおいて5年間の関与禁止(追放)という処分を受けた。
 
シモンズとブリアトーレは[[大審裁判所]]に訴え、FIAによって下された追放処分撤回を勝ち取る。これにより、2012年末まで謹慎すれば、2013年以降はF1チームの運営に復帰することが認められた。
 
==== ヴァージン/マルシャ時代(2011年 - 2013年) ====
ルノーから離脱後、シモンズは自身のコンサルタント会社「ニュートリノ・ダイナミクス」を通じて様々なプロジェクトに関わった。また、イギリスの『F1 Racing』誌にてエンジニアリング関連のコラムを執筆した。
 
チームは2012年より[[マルシャF1チーム]]となり、この年のマシン「[[マルシャ・MR01|MR01]]」はシモンズの指揮によりデザインされた<ref>"[http://as-web.jp/news/info.php?no=38147 マルシャ新車はパット・シモンズがデザインを指揮]". オートスポーツ.(2011年12月8日)2013年月3日12閲覧。</ref>。2013年には、シモンズが正式にマルシャのテクニカルディレクターに就任し、チームに帯同することになった<ref>"[http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=46305 パット・シモンズ、正式にマルシャのTDに]". オートスポーツ.(2013年2月5日)2013年3月12日閲覧。</ref>。
 
==== ウィリアムズ時代(2013年 - ) ====
マルシャへの正式就任から数か月後、シモンズはチームとの契約を解消し、[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]の技術部門を指導するチーフテクニカルオフィサーに就任することになった<ref>"[http://www.topnews.jp/2013/08/22/news/f1/teams/williams/94756.html ウィリアムズの新技術ボス、パット・シモンズQ&A]". Topnews.(2013年8月22日)2014年3月7日閲覧。</ref>。