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[[紀元前612年]]、[[メディア王国|メディア]]と[[バビロニア]]と[[スキタイ]]の攻撃を受けてニネヴェは陥落し破壊された。その後も小規模の都市として存続したが、かつての重要性は失われ、一帯の中心は対岸の[[モースル|モスル]]に移った。なおモスルは現在も、[[クルド人]]からニネヴェ、[[ネストリウス派]][[キリスト教]]の[[アッシリア人]]からはニネワとよばれており、モスルを県都とするイラクの県、[[ニーナワー県]]もニネヴェの名に由来する。
 
[[627年]]、[[東ローマ帝国|ビザンティン帝国]]と[[サーサーン朝|サーサーン朝ペルシア]]の間で争われた[[東ローマ・サーサーン戦争 (602年-628年)]]のクライマックスの[[ニネヴェの戦い (627年)]]は、この都の廃墟の近郊の平原で開かれ、ビザンティン帝国がサーサーン朝軍を破った。
 
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== 旧約聖書 ==