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ニハーヴァンドの戦いの経緯については諸説唱えられている。一説によると、アラブ軍は、第2代正統カリフの[[ウマル]]が死んだという偽の情報を流してサーサーン朝軍をおびき出し、勢いづいたサーサーン朝軍騎兵がなし崩し的に追撃を開始してアラブ軍を追ったところを隘路に誘い込んで包囲し殲滅した。
 
他方、上記のような策略によってでなく、アラブ軍は純粋に戦術を駆使してサーサーン朝軍を撃破したという説も有力である。サーサーン朝軍は[[封建]]的な領主貴族の軍勢の集まりで、規律も緩みがちだったが、このときばかりは強固な防御陣でアラブ軍を迎えた。アラブ軍は小競り合いをしかけてサーサーン朝軍を優位な地点から誘い出した後に、組織的な退却に移った。これを追いかけるサーサーン朝軍の騎兵の隊列が隘路で細く伸びきったところで、士気旺盛なムスリム軍が一斉に反撃に転じ、混乱したサーサーン朝軍は大損害を被った。激闘になりムスリム軍の指揮官らも戦死したが、サーサーン朝軍は最高司令官のペーローズが乱戦の中で命を落とすなど大敗北を喫した。この敗北で、多くの軍人や文官らはヤズデギルド3世を見捨てた。<ref>Iranian History and Politics: The Dialectic of State and Society By Homa Katouzian, pg. 25</ref>
 
== 戦後 ==