「太田哲也」の版間の差分
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[[群馬県]][[前橋市]]出身。[[日本大学第二高等学校]]、[[武蔵大学]]卒業。[[東京都]][[世田谷区]][[梅丘]]在住。
1993年から「[[ティーポ]]」([[ネコ・パブリッシング]])を初めとする[[自動車雑誌]]への寄稿を開始、
翌
事故から復帰までを綴った「クラッシュ」「リバース」(幻冬舎)がスポーツドキュメントとしては異例のベストセラーに。その後、高校生に向けた「生き方ナビ」、「世界でいちばん乗りたい車」「知識ゼロからの車選び」を執筆。
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=== 概要 ===
=== 事故の発生 ===
事故は
その中で、太田の前方を走っていた[[砂子塾長|砂子智彦]]の[[ポルシェ]]が前方の車輌に追突し、パーツを撒き散らしながら進行方向左側、コース外のエスケープゾーンに放り出され、右を向いた姿勢で停止する。追突したポルシェはピットロード出口付近のガードレールに衝突して停止した。その直後、突然視界が開けた際に急減速して来た前方の車両への追突を避ける為に同ゾーンへ逃げた太田の車輌(TFCJ[[フェラーリ・F355|フェラーリF355]]GT)が衝突した。太田の証言では正面衝突を避ける為に、あえてスピンさせ、助手席側から衝突させ衝突のダメージを出来る限り回避させる行動を取ったという。スタート前のためガソリンが満載されていた太田の車輌は爆発・炎上、衝突の弾みによりコース脇のコンクリート壁に弾かれた後、スピンしながらホームストレートを跨ぎ、激しく炎上しながらピットロード出口から200m程先の地点で後ろ向きに停止した。爆発炎上の原因は、衝突の際にポルシェ、フェラーリ共々フロント側に設置されているガソリンタンクが押し潰され、噴出したガソリンが衝突時に生じた火花か何かに引火して爆発したものとみられている。
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=== その後 ===
受傷程度は全身の[[熱傷]]による重体であったが、治療とリハビリの後、
魂の還る場所』(幻冬舎)も出版されている。
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=== 裁判 ===
大雨の中ペースカーが必要以上に高い速度で走行した事(事故後、Tipo誌が予選上位のチームからデータ提供の協力を得て[[データロガー]]の速度記録を調べた所、最終コーナーで150km/hまで加速していた事が判明している)や、衝突による火災発生後救護班が到着するまでに非常に時間がかかった事、さらにその後の処置体制の不備など、レース主催者の対応に不手際があったとして、太田とその弁護団は
これは、レース参加者が主催者側の不備について損害賠償を求めるという、過去にあまり例のない裁判として注目を集めた。裁判中では、通常レース参加に当たってドライバーが主催者に対して事前に提出(該当のレースにおける太田も同様)する「主催者や他の競技者らの責任を追及したり損害賠償を請求したりしない」という誓約書の有効性が争点の一つとなった。
この裁判を起こすにあたっては、応援する声があったのは勿論であるが、[[ジャーナリスト]]やレース関係者等の間から反対する声が多く、相当風当たりが強かったという。そのため、一時は仕事も殆ど無く、孤独感に苛まれたといわれている。
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! [[1994年の全日本GT選手権|1994年]]
! rowspan="2" | [[タイサンインターナショナル|TEAM TAISAN]]
! [[フェラーリ・F40]]
! GT1
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! [[1995年の全日本GT選手権|1995年]]
▲! [[フェラーリ・F40]]
! GT1
|bgcolor="#EFCFFF"|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>Ret</small>
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! [[1997年の全日本GT選手権|1997年]]
! rowspan="2" | [[TEAM FERRARI CULB of JAPAN]]
! [[フェラーリ・F355]]
! GT300
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! [[1998年の全日本GT選手権|1998年]]
▲! [[フェラーリ・F355]]
! GT300
|bgcolor="#EFCFFF"|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>Ret</small>
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