「ジョージ・ウォレス」の版間の差分

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選挙の結果、アラバマ州、[[アーカンソー州]]、[[ジョージア州]]、[[ミシシッピ州]]、[[ルイジアナ州]]でトップを取り46人の選挙人を獲得した。なお、得票数の上では2位になった民主党候補の[[ヒューバート・H・ハンフリー]]の票とウォレスの票を合算すると、当選した[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の[[リチャード・ニクソン]]の票を上回るという計算になった。
 
その後、ウォレスは1970年にアラバマ州知事に復帰し1972年に三たび[[1972年アメリカ合衆国大統領選挙|1972年大統領選挙]]に立候補するが、大統領選の遊説中の5月15日、メリーランド州ローレルのショッピング・センターに立ち寄り、支持者に囲まれる時に{{仮リンク|アーサー・ブレマー|en|Arthur Bremer}}に銃撃され、下半身不随となり民主党の指名もとれず敗退した。ブレマーの犯行動機は政治的な理由はなく有名人なら誰でもよかった。
 
しかしアラバマ州知事には[[1974年]]に再選し、[[1976年アメリカ合衆国大統領選挙|1976年大統領選挙]]でもまた敗退したが、[[1982年]]の州知事選挙では今までの誤りを認めたため黒人からも投票され再選した。知事に就任後は公約どうり黒人を州政府に登用した。こうして四期十六年に渡って知事職を務めた。