「大日本プロレス」の版間の差分

(221.187.47.104 (会話) による ID:59445371 の版を取り消し)
 
== 歴史 ==
[[1994年]][[12月21日]]、[[日本プロレス]]および[[全日本プロレス]]出身のプロレスラーで[[WAR (プロレス)|WAR]]の営業部長としてフロント入りしていた[[グレート小鹿|小鹿信也(グレート小鹿)]]が、同年10月に興行活動を停止した[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]の[[桜田一男|ケンドー・ナガサキ]]らとともに設立した。旗揚げには、NOWから所属していた若手の[[谷口裕一]]とNOWで社長であった[[登坂栄児]]がレフェリーとして参加。さらに、元[[UWF]]所属であった[[ブルーザー岡本]]、[[新東京プロレス|東京プロレス]]所属の山川征二(後の[[山川竜司]]山川もNOW所属であったが谷口や登坂と異なり、東京プロレスを経由して大日本に移籍している)、生え抜き第1号となった練習生の[[アブドーラ小林|小林洋輔](アブドーラ小林)]]が所属選手となり、[[IWA・JAPAN|I.W.A.JAPAN]]や東京プロレスなど他団体の協力を得て陣容を整えた。
 
旗揚げ戦は[[1995年]][[3月16日]]、[[神奈川県]]の[[横浜文化体育館]]で行われた。草創期は現在も続く[[デスマッチ]]路線のほか、エースのナガサキが「打倒、[[ヒクソン・グレイシー]]」を明言して[[総合格闘技]]への進出を表明、団体も「'''ハラキリ'''」と称してナガサキのバーリ・トゥード路線を支えたが、同年[[9月26日]]の[[ジーン・フレージャー]]戦で36秒でKOされ惨敗を喫して以降は、バーリ・トゥード路線は頓挫。デスマッチを中心とした純プロレス路線に方向性を特化していく。
匿名利用者