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== 歴史 ==
南千住は[[江戸時代]]における[[日光街道]]の[[宿場町]]である[[千住宿]]を起源としている。隅田川以北の宿場が拡大し、[[万治]]3年([[1660年]])に千住大橋南側の小塚原町(こづかはらまち)・中村町(なかむらまち)が宿場に加えられ、以来南宿(下宿)と呼ばれた。
 
かつて江戸時代から明治初期には、[[小塚原刑場]]という処刑場(仕置場)があり、20万人余の罪人がここで刑を執行されたという(延命寺内掲示板による)。[[刑場]]跡は、現在の南千住駅の西側、[[常磐線]]と[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]の線路に挟まれる場所にある延命寺内に位置する。