「中島徹 (漫画家)」の版間の差分

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[[1986年]]、『[[週刊少年サンデー超|増刊少年サンデー]]』([[小学館]])に掲載された「恋の上体ひねり」でデビュー。以降、主に[[小学館]]の雑誌で活動していた。
 
2011年3月26日、[[大腸癌]]のため死去<ref name="fuhou" />。満47歳没。『[[ビッグコミックオリジナル]]』(小学館)連載の『[[玄人のひとりごと]]』は第7号[[2010年]]4月5日号を最後に「作者病気療養」による休載が続いていたが、未完作品まま終了となった。
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|{{Nowrap|剣術の達人・一条小助と}}槍術の達人・二条ゆかりが犯罪者専門のたかり屋として活躍する時代劇ギャグ漫画
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| {{Display none|ふろのひとりこと/}}[[玄人のひとりごと]]||[[ビッグコミックオリジナル]]||[[1989年]] - [[2010年]]|| style="white-space:nowrap;" |既刊11巻||作者病気療養により中断、逝去により未完そのまま終了
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| {{Display none|きやんふる/}}ギャンブル王子嵐||少年サンデー増刊号||[[1991年]] - [[1994年]]||全{{Display none|0}}5巻||
== 逸話 ==
* 『[[玄人のひとりごと]]』で[[歩数計|万歩計]]が登場した話で、「(万歩計の)安物は多少の揺れでカウントする」と台詞で描写したことに対して「表現に問題がある」との抗議があり、後の号で万歩計の商標を持つ山佐時計計器とその関係者に対する謝罪文が掲載された。
* 『戦え!グリーンベレーくん』は連載当時は主人公が冬休みに[[グリーンベレー]]に入隊したとう設定になっているが、単行本では夏休みに変更されている<!--学年誌の連載は毎年3~4月号に開始するため-->。
* 中島と同時期にデビューした漫画家・[[森真理]]によれば、既に余命半年となっていた中島は、身の回りの物を片付け、漫画の道具も早々と始末し、「親は年だし、兄弟は家庭を持っているし、家族に迷惑かけたくないから独り暮らしのままで逝く、最期はヘルパーさんに来てもらって死ぬから<ref name="MoriShinri_2011-04-08"/>{{#tag:ref|実際には病院で最期を迎えたという<ref name="MoriShinri_2011-04-08"/>。|group="注"}}」と編集者に語っていたという<ref name="MoriShinri_2011-04-08">{{Cite web|author=[[森真理]]|date=2011-04-08|url=http://plaza.rakuten.co.jp/morisin/diary/201104080000/|title=友人を送る|accessdate=2012-06-21}}カギ括弧内は森の原文ママ。同記事では休載から逝去までの中島の様子、および中島の葬儀の様子が綴られている。</ref>。森真理はブログで「なんでそんなに潔いのだろうか?<ref name="MoriShinri_2011-04-08"/>」「思うに、漫画一筋だった中島さんは作品に全てを注ぎ込み、人に会わなくても、闘病記などを発表しなくても、充分に自己表現をし、そして満足していたのかもしれない<ref name="MoriShinri_2011-04-08"/>」と述べている。
 
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