「板東英二」の版間の差分

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== 家庭 ==
[[三奈木黒田家]]の16代当主と、松本健次郎(安川財閥創始者[[安川敬一郎]]の次男)の娘<!--安川大五郎の兄松本健次郎の孫 おばあちゃんと話そう2015/8/26ほか晴れ板東でも-->の間に生まれた5歳年上の女性・洋子([[常陸宮正仁親王]]と同級生<!--晴れ板東2014/12/18 -->)と、21歳の時に結婚した<ref name="kuroda" />。ちなみに、「日本における[[カントリー・ミュージック|カントリー・ウエスタン]]の先駆け」とされる[[歌手]]の[[黒田美治]]は、洋子の実兄(板東の義兄)に当たる。<!--http://reichsarchiv.jp/家系リスト/三奈木黒田氏 http://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E4%B8%89%E5%A5%88%E6%9C%A8%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%B0%8F https://archive.is/bNUcw-->
 
中日の投手から野球解説者へ転身する際には、[[メジャーリーグ|メジャーリーグ(MLB)]]の公式戦中継における解説者の話術を、[[英語]]に堪能な黒田の和訳を通じて学んでいた。板東によれば、「夏場に放送されていた[[ロサンゼルス・ドジャース]]と[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]戦の中継で、自宅の[[クーラー]]が故障した視聴者が、放送中に『クーラーをすぐに修理できる電気店を教えて欲しい』と電話した。この電話をきっかけに、解説者が試合そっちのけで他の視聴者に情報の提供を呼び掛けたところ、大量の情報を集めた末に(アメリカにおけるMLB中継の歴代最高とされる)80%台の高視聴率を記録した。その話を黒田から聞かされていたので、リスナーが楽しめそうな解説を心掛けるようになった」という。
 
結婚のきっかけを作ったのは、板東家が満州で日本料理店を営んでいた時期に、近所で洋服店を営んでいた人物である。この人物は、第二次世界大戦後に[[柳橋 (台東区)|東京都台東区柳橋]]で料亭を開業。高校時代の板東の活躍を知ったことから、板東が中日へ入団した後に、料亭の顧客であった松本と引き合わせた。板東はその際に、[[長嶋茂雄]]のファンであった松本から、かかりつけの高名な[[整体師]]を紹介。チームの東京遠征中にその整体師から治療を受けるたびに、洋子が同行した縁で結婚に至った<ref name="kuroda">『板東英二の生前葬』第3章pp.198 - 201「妻のこと、一族のこと」</ref>。1964年に<!--東京オリンピックの年-->長女が誕生。