「ワイン・ガードナー」の版間の差分

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17歳のときに、中古の[[ヤマハ・TZ|TZ]]を購入するために父親が経営する会社で働いて購入資金を稼ぐ<ref>『片山敬済の戦い - オランダGPの16ラップ』(p91)より。</ref>。
 
[[1980年]]、オーストラリア国内レースで走っていた際、日本の[[モリワキ]]の代表である[[森脇護]]に才能を見いだされる。[[1981年]]にモリワキからイギリス国内のTT-F1に参戦するとともに、3月にはAMAの[[デイトナ]]スーパーバイククラスに出場し[[カワサキ・Z1-R/Z1R-II|Z1R-II]]で4位に入賞する。6月には全日本選手権の鈴鹿200kmレース(NR500が優勝した500ccクラスとは別クラス)で優勝した。この年の鈴鹿8時間耐久オートバイレース(鈴鹿8耐)でモリワキ・モンスターに乗り驚異的な予選タイムを記録し、決勝でも60周回目に首位に立つがその周回のスプーンカーブで転倒しリタイヤとなる。その後、日本やイギリスなどのレースで活躍し、実力をアピールしていく。
 
[[1983年のロードレース世界選手権|1983年]]、第8戦[[オランダグランプリ (ロードレース)|オランダGP]]でロードレース世界選手権(WGP)にデビューするが、このレースで衝撃的なアクシデントに遭遇してしまう。前年度チャンピオンの[[フランコ・ウンチーニ]]がコース中央で転倒。マシンから投げ出されたウンチーニはとっさにコース外に逃れようとしたが、同じ方向に回避したガードナー車の前輪がウンチーニのヘルメットを直撃。ウンチーニはヘルメットが脱げた状態で地面に叩き付けられ、意識不明で病院に搬送された。同時にガードナーも転倒し世界GPデビュー戦で負傷リタイアという結果になってしまった。
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=== ホンダのエースへ ===
[[1985年のロードレース世界選手権|1985年]]、前年の実績を評価されたガードナーはUKホンダに起用され、3気筒のNS500に乗り[[セミワークス]]ライダーとして本格参戦。優勝争いには届かないものの、[[フランスグランプリ (ロードレース)|フランスGP]]では4気筒の[[NSR500]]に乗る[[フレディ・スペンサー]]と互角にバトルを展開するなど健闘し、ランキング4位を得る。
 
この年の鈴鹿8耐では優勝大本命の[[ケニー・ロバーツ]]、[[平忠彦]]組が先行する中、ガードナーは終盤の2時間近くをライダー交代をせず猛追。ロバーツ・平組のリタイアで劇的な初勝利を達成する。連続走行のためチェッカー後はマシンから降りられないほど消耗していたという。以後、ガードナーは鈴鹿8耐においてホンダのエースとして活躍することになる。
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=== 四輪レース転向 ===
WGP引退後は四輪レースに転向。母国でワイン・ガードナー・レーシングチームを結成し、[[V8スーパーカー]]などに参戦する。[[1998年]]には[[ル・マン24時間レース]]にも挑戦。また、[[1996年]]より日本の[[全日本GT選手権]]にも[[トヨタ・スープラ]]で参戦し、[[1999年]][[2001年]]にそれぞれ1勝を挙げた。2002年シーズンをもって現役レース活動を終える。
 
=== 引退後 ===
現役引退後は2人の息子をライダーとして育てるべく、地元・オーストラリアで「チームガードナーレーシング」を結成し、自らはオーナー兼監督を務めている。[[2012年]]からは古巣のモリワキと共にMoto3用マシンの開発を行うこととなり、また息子たちのステップアップもあり、チームの拠点をスペイン・バルセロナに移すことになった<ref>[http://www.autoby.jp/blog/2011/11/jr-70c9.html ガードナーとモリワキが再びタッグを組み、moto3マシン開発へ] - Webオートバイ・2011年11月26日</ref>。
 
== 主な成績 ==
=== 2輪レース ===
==== オーストラリア、英国時代 ====
* [[1979年]] - オーストラリア選手権350ccクラス 3位<ref name="疾走する戦士たち p34">『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p34)より。</ref>
* [[1980年]] - カストロール6時間耐久レース 優勝<ref name="疾走する戦士たち p34" />
* [[1981年]] - スワンシリーズ チャンピオン<ref name="疾走する戦士たち p34" />
* [[1982年]] - カストロール6時間耐久レース 優勝<ref name="疾走する戦士たち p34" />
* [[1983年]] - 英国TT F-1クラス チャンピオン<ref name="疾走する戦士たち p34" />
* [[1984年]] - 英国TT F-1クラス チャンピオン、スワンシリーズ チャンピオン<ref name="疾走する戦士たち p34" />
 
====ロードレース世界選手権====
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! [[1983年のロードレース世界選手権|1983]]
| 500cc
| rowspan="2" | [[ホンダ・レーシング|ホンダ]]<br />([[ホンダ・NS500|NS500]])
| [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />-
| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />-
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! [[1984年のロードレース世界選手権|1984]]
| 500cc
| [[ホンダ・レーシング|ホンダ]]<br />([[ホンダ・NS500|NS500]])
| [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />-
| style="background-color:#DFFFDF;" | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />4
140 ⟶ 139行目:
! [[1985年のロードレース世界選手権|1985]]
| 500cc
| rowspan="8" | [[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]<br />([[ホンダ・NSR500|NSR500]])
| style="background-color:#FFDF9F;" | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />3
| style="background-color:#DFFFDF;" | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />4
162 ⟶ 161行目:
! [[1986年のロードレース世界選手権|1986]]
| 500cc
| [[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]<br />([[ホンダ・NSR500|NSR500]])
| style="background-color:#FFFFBF;" | ''[[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]''<br />1
| style="background-color:#CFCFFF;" | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />16
184 ⟶ 182行目:
! [[1987年のロードレース世界選手権|1987]]
| 500cc
| [[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]<br />([[ホンダ・NSR500|NSR500]])
| style="background-color:#DFDFDF;" | [[日本グランプリ (ロードレース)|JPN]]<br />2
| style="background-color:#FFFFBF;" | ''[[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]''<br />1
206 ⟶ 203行目:
! [[1988年のロードレース世界選手権|1988]]
| 500cc
| [[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]<br />([[ホンダ・NSR500|NSR500]])
| style="background-color:#DFDFDF;" | [[日本グランプリ (ロードレース)|JPN]]<br />2
| style="background-color:#DFDFDF;" | [[アメリカグランプリ (ロードレース)|USA]]<br />2
228 ⟶ 224行目:
! [[1989年のロードレース世界選手権|1989]]
| 500cc
| [[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]<br />([[ホンダ・NSR500|NSR500]])
| style="background-color:#DFFFDF;" | [[日本グランプリ (ロードレース)|JPN]]<br />4
| style="background-color:#FFFFBF;" | [[オーストラリアグランプリ (ロードレース)|AUS]]<br />1
250 ⟶ 245行目:
! [[1990年のロードレース世界選手権|1990]]
| 500cc
| [[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]<br />([[ホンダ・NSR500|NSR500]])
| style="background-color:#DFDFDF;" | [[日本グランプリ (ロードレース)|JPN]]<br />2
| style="background-color:#EFCFFF;" | '''[[アメリカグランプリ (ロードレース)|USA]]'''<br />NC
272 ⟶ 266行目:
! [[1991年のロードレース世界選手権|1991]]
| 500cc
| [[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]<br />([[ホンダ・NSR500|NSR500]])
| style="background-color:#DFFFDF;" | [[日本グランプリ (ロードレース)|JPN]]<br />5
| style="background-color:#DFFFDF;" | [[オーストラリアグランプリ (ロードレース)|AUS]]<br />4
294 ⟶ 287行目:
! [[1992年のロードレース世界選手権|1992]]
| 500cc
| [[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]<br />([[ホンダ・NSR500|NSR500]])
| style="background-color:#EFCFFF;" | [[日本グランプリ (ロードレース)|JPN]]<br />NC
| [[オーストラリアグランプリ (ロードレース)|AUS]]<br />-
355 ⟶ 347行目:
| style="text-align: center;" | 4
| [[ドミニク・サロン]]
| [[ホンダ・レーシング|チームHRC]]
| [[ホンダ・RVF|ホンダ・RVF750]]
| style="text-align: center;" | 1
363 ⟶ 355行目:
! 1987
| style="text-align: center;" | 1
| [[ドミニク・サロン]]
| [[ロスマンズ]]・[[ホンダ・レーシング|ホンダRT]]
| [[ホンダ・RVF|ホンダ・RVF750]]
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| style="text-align: center;" | 11
| [[マイケル・ドゥーハン|ミック・ドゥーハン]]
| [[ホンダ・レーシング|チームHRC]]
| [[ホンダ・RVF|ホンダ・RVF750]]
| style="text-align: center;" | 1
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! 1990
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| [[マイケル・ドゥーハン|ミック・ドゥーハン]]
| [[沖電気工業|OKI]] [[ホンダ・レーシング|ホンダRT]]
| [[ホンダ・RVF|ホンダ・RVF750]]
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! 1991
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| [[マイケル・ドゥーハン|ミック・ドゥーハン]]
| [[沖電気工業|OKI]] [[ホンダ・レーシング|ホンダRT]]
| [[ホンダ・RVF|ホンダ・RVF750]]
| style="text-align: center;" | 1
409 ⟶ 401行目:
| style="text-align: center;" | 11
| [[ダリル・ビーティー]]
| [[沖電気工業|OKI]] [[ホンダ・レーシング|ホンダRT]]
| [[ホンダ・RVF|ホンダ・RVF750]]
| style="text-align: center;" | 5
439 ⟶ 431行目:
| [[1996年の全日本GT選手権|1996]]
![[サード (企業)|トヨタ チーム サード]]
! rowspan="7" |[[トヨタ・スープラ]]
!GT500
|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small></small>
454 ⟶ 446行目:
| [[1997年の全日本GT選手権|1997]]
![[POWER CRAFT]]
![[トヨタ・スープラ]]
!GT500
|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small></small>
469 ⟶ 460行目:
| [[1998年の全日本GT選手権|1998]]
![[TEAM POWER CRAFT]]
![[トヨタ・スープラ]]
!GT500
|bgcolor="#DFFFDF"|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small>8</small>
483 ⟶ 473行目:
|-
| [[1999年の全日本GT選手権|1999]]
! rowspan="2" |[[ルマン (企業)|エッソウルトロン トヨタ チーム ル・マン]]
![[トヨタ・スープラ]]
!GT500
|[[鈴鹿サーキット|SUZ]]<br /><small></small>
498 ⟶ 487行目:
|-
| [[2000年の全日本GT選手権|2000]]
![[ルマン (企業)|エッソウルトロン トヨタ チーム ル・マン]]
![[トヨタ・スープラ]]
!GT500
|bgcolor="#DFFFDF"|[[ツインリンクもてぎ|MOT]]<br /><small>8</small>
513 ⟶ 500行目:
|-
| [[2001年の全日本GT選手権|2001]]
! rowspan="2" |[[トムス|TOYOTA TEAM TOM'S]]
![[トヨタ・スープラ]]
!GT500
|bgcolor="#DFFFDF"|[[岡山国際サーキット|TAI]]<br /><small>5</small>
528 ⟶ 514行目:
|-
| [[2002年の全日本GT選手権|2002]]
![[トムス|TOYOTA TEAM TOM'S]]
![[トヨタ・スープラ]]
!GT500
|bgcolor="#DFFFDF"|[[岡山国際サーキット|TAI]]<br><small>8</small>
552 ⟶ 536行目:
ワインがレーシングライダーになる上で、父親の援助は大きなものであった<ref name="疾走する戦士たち p37" />。父親はワインのことを猫可愛いがりしていた<ref name="疾走する戦士たち p34" />。母親はワインがレーシングライダーになることを快く思っていなかったので、夫婦喧嘩の原因はワインのことであった。そんな母親も、ワインが地元のレースの125ccクラスで6戦全勝すると、ワインが上げた実績を認めることになった<ref>『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p38)より。</ref>。
 
雑誌で[[フレディ・スペンサー]][[ケニー・ロバーツ]]の活躍を知ったワインは、自分ならもっとうまくやってのける、と思っていた。ワインは勝つことに貪欲であった。ワインは勝つことにもっとも必要なことは集中力だという。ほかには、勝とうする意欲、レースを楽しむこと<ref>『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p39)より。</ref>。
 
ワインは多くのトップライダーと同様に勝つことに楽しみを見い出している。ワインが優勝したときの家族やチームのメンバーの笑顔を見ることが大好きである<ref name="疾走する戦士たち p37" />。
558 ⟶ 542行目:
ワインは個人競技的なロードレースのライダーになることを選んだのであるが、チームプレーを好み、サッカーやホッケーなどのチーム競技が好きである。プロのチーム競技においては選手一人一人の責任は重いのだが、ワインはプロのGPライダー一人が負う責任はより重いと考えている。極論すれば、サッカー選手の場合はチームの優勝だけを考えてプレーすればよいのだが、GPライダーの場合は最低でもチームとバイクメーカー、スポンサーのことを考えなければならない<ref name="疾走する戦士たち p36">『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p36)より。</ref>。
 
ワインはロスマンズ・ホンダ・チームと契約するまでは競争力のあるGPマシンを得ることができなかったため、攻撃的な走りをせざるを得なかった。ただし、[[フレディ・スペンサー|フレディ]]がチームメイトだった頃の[[ホンダ・NSR500|NSR500]]は「フレディ専用設計」という面があったため、ガードナーにとっては乗りづらく、それを補うためにやはり攻撃的な走りをせざるを得なかった<ref>『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p42)より。</ref>。
 
ワインは、オフシーズン中はレースのことはなるべく考えないようにしている。それでもレースのことがふと頭に浮かんだときには、無理にそれを抑えつけることはせず、レースについて思い巡らすことにしている<ref>『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p40)より。</ref>。